2011.9.11(2011.10.11)

 

2011年3月11日から半年の日
9月一ヶ月東北にいると決めてから
半年の日に東北にいられることは意識していた
こんなにも早く半年がたつと思っていなかった

瀬尾とどこに行こうかと前々から相談していて
陸前高田に行きたいと思っていた
慰霊祭が開催されるか調べたけど出て来ず、
陸前高田に住む知り合いの子に聞いたりもしてみたけど
この日は選挙だからないかもしれませんと返事があった
そんなことあるのかなーと思いつつ
この日まで回ってきた各地にはネットには公開されていない慰霊祭のチラシが貼ってあったりしたので
行ってみたら何かあるだろうと思い陸前高田へ出発

黒い服を着る
慰霊祭に出ても大丈夫なようにというのと
あと、たぶんもう少し違う理由で、でもなんとなく黒い服を着ようと思った

南三陸町、気仙沼を通り過ぎるとき慰霊祭の看板が見えた
よく見ると反対車線をすれ違う車に乗っている人たちは
ほとんどの人が喪服を来ていた
川沿いに2人の喪服を来た男性が踞っている
1人の方はもう1人の方の肩に手を添えていた
建物がなくなって更地になってしまった場所を喪服の方が歩いている

陸前高田に到着
神社で慰霊祭のような看板が出ているが人がたくさんいる気配はない
バラバラと集まっている
通り過ぎる車の方向もどちらに向かっている車が多いとかわからない
その神社はなんとなく居心地が悪かったので
別の場所に移動しようということになった
今はない陸前高田駅の近くの道路へ
道路の下には線路が通っていたらしい跡が見える
道路もアスファルトではなく砂利を固めて新たに作られたものである
でもその砂利をよく見るとたくさんの小さな欠片が混ざっていて
お茶碗、ガラス、プラスチック、タイヤのゴムなどがある
瓦礫を砕いて砂利にしたのがわかる
そこにしばらくいる
その道路からは周囲が見渡せる
なんでこんなに人気がないのだろう
家の跡はたくさんあるのに、その跡のまわりに集まっている人もいない
海側も山側もほとんど見渡せるほど何もなくなっている
あともう少しで2:46なのに
せめて黙祷のサイレンはなるのだろうか

移動してタピック、キャッスル、ガソリンスタンドオカモトのあった場所へ行く
海からすぐ目の前
何度も通り過ぎた道
その辺りには数人の人が歩いているのが見えた
オカモト跡地には消防団が集まっている
あと数分で2:46なのでここにしようと車を降りた

海側にむかって立つ
カメラをまわす
黙祷
サイレンはならなかった
後ろをびゅんびゅんと車が通り過ぎている
たぶん車に乗っているのは地元の人たちだろう
彼らは車の中で何を思っているのだろう
特に2:46にも気付いてないのだろうか
それともラジオかなにかを聞きながらこの風景を見ながら
車を走らせているのだろうか
黙祷しているのはほんの数人しかいなかった

わたしたちは陸前高田のおばちゃんの家にいった
4月からお世話になってるおばちゃんの家
旦那さんが世話をしていた田んぼは緑の稲がびっしりだった
この田んぼにも家や車など瓦礫がたくさん流されていたのが嘘みたいだった
このお家は本当にぎりぎりのところまで津波がきたお家である
すぐ目の前のお家はもうなくなっていて、大きな穴があいていた
おばちゃんは忙しそうに出てきた
「あらーよく来たね、わたしこれから出かけるんだけどあがってきな」

おばちゃんはバタバタとしながらお茶やりんご、なしを用意してくれた
果樹園をやっているおばちゃんにはブルーベリーをたくさんもらったこともある
おばちゃんは選挙で忙しいようだった
わたしは半年の日にも普通に生活している、むしろ選挙で忙しくてそれどころじゃないという状況に拍子抜けしてしまった

それからの会話にも半年だからという言葉はあまり出てこなかった気がする
おばちゃんが見せてくれた地元の新聞
東海新報という新聞で定期購読していないとコンビニとかでは販売していないようだった
その新聞には一面に亡くなられた方の名前が書かれていた
地元新聞だからできる情報の伝え方があると思う
その上で了解されている住民が求めている情報
地元の人だから信頼されている情報
その地域にはその地域に必要とされている情報があるしそのためのメディアがある
石巻のおばちゃんの家でも見ていたテレビはローカルチャンネルで
ニュースもずっと震災に関することしか流れていなかった
これが流れなくなってしまったら何か変わってしまうような気がする
東京ではほとんど流れなくなってしまった
テレビをつけてニュースの時間を待っていても、
やるときもあればやらないときもある
日常の中で自分の外の情報が入ってくるテレビとか新聞といったメディアの中から
排除されてしまった情報は、なかなかそれを自ら求めようとしなければ
意識したり考えたりすることもできなくなってしまうし
すぐに忘れてしまうと思う

今日ここ陸前高田で半年のことを意識していない人なんていないと思う
どっか頭の片隅にはあると思う
でもわざわざ黙祷したり、サイレンをならしたり、慰霊祭にいかなくとも
ここに住む人たちは忘れることはないし
考えない日はないと思う
でもここにいない人たちは、やっぱりある周期があることで
意識しなおしたり思い出したり考えたりする
忘れてしまった人のための記憶を呼び起こすための日なのかもしれない

ニュースではお子さんを亡くされた方のインタビューや
この日に当日のことを思い出して涙している人を映し出したり
慰霊祭を各地紹介したりしていた
もちろん人それぞれの「半年」があるのだと思うけれど
でもニュースはあえてそういう方をピックアップして報道しているし
それが全国に流すためのものであるから、東北沿岸全体でこのような風景があると思わせるかのような伝え方をしているし(それは当然といえば当然なのかもしれないけど)
そのニュースだけみている人たちはやっぱり何もここでのことはわからないんじゃないかと思う

それを飲食店で見ていた地元の人たちは2:46とか忘れてたなー
俺くるまのってたわ と会話していた

思い出すという役割はあるかもしれないけど、悲しさとか嬉しさとかを伝えればいいかといったらそうでもないし、現実の中に、わたしたちと変わりない日常の中にうまっている
人々の声とか思いとか、ふとした瞬間とか、そういうものほど遠くにいる人にはわからないから伝えるべきなのではないかと思っている
おばちゃんが新聞を開いた時にふとそれを思った
おばちゃんがこの新聞を見ていた時間のこととか、そのときに考えていたこととか
特別な半年だからというものがあったかはわからないけど
でもこの日におばちゃんがとった行動の中に「半年」という何かもっと目には見えにくいものが見えるような気がした

陸前高田のボランティアセンターへ
ボランティアセンターでは以前お会いしたNさんがいた
Nさんはわたしたちのことを覚えていてくれて
なんだかそれが本当に嬉しかった
ボランティアセンターの雰囲気はすごく明るくて
外から来ているのにとっても居心地がいい
他のセンターにはないあたたかさのようなものがある
それはNさんの存在も大きいのではないかなと思う
Nさんは私たちにキーホルダーをくれたりステッカーをくれたりお菓子をくれたりした
何もしてないのにお土産ばっかりもらってしまった
ミーティングがあるから撮影するといいよといって
とても急だったけどミーティングを撮らせてもらうことになった

それぞれの担当の人が今日の報告を伝える
運営スタッフさんはいろんなところから人が集まっていて
それは週ごととか月ごとに変わっているのだけど
ここでは継続してこの雰囲気とか運営を保てているのはすごいなと思う
今日でお別れの方もいて、また新しく来る方もいる
ミーティング後はマッチングスタッフが作業に入っていた
とても大切な作業を慎重に明日くるボランティアさんに備えてやっている
最近はボランティアさんが急激に減っているという
それでもまだニーズはあるし、これからまた人を集める事とか
寒い時期にも対応できるように考えているとのことだった
前にお邪魔したときももうすでに冬の対策を考えていたことを思い出した
たくさんのボランティアセンターが閉まっていく中で
ここではまだまだ災害ボランティアセンターをしめる目処をたてていない
お休みの日もまだこの時はなかった
まだ陸前高田ではボランティアを求めていることを
他の情報にまぎれて埋もれてしまわないといいのだが
最初センターが立ち上がったときもあったように
ここでは県外禁止とか、okとかそれぞれ違うのに
なんとなく岩手はほとんどだめだという情報が流れていたりしたので
今何がどこで必要なのかというものは明確に伝える手段があればいいのになと思う
それこそ報道で流せばいいのにと思う

Nさんに教えてもらった仮設の飲食店でごはんを食べる
しょうが焼き定食でお腹がいっぱいである

それからわたしたちは青森県八戸市を目指して車を走らせた
途中ガソリンがほんとうになくなってしまって危ないところだったが
なんとか補充もでき、意外と1時すぎには着いた
八戸の漫画喫茶に入る
一度来た事がある、そのメンバーズカードが財布に入っていた
昼間いた場所とは全然違う
若者たちがビリヤード場で騒いでいる
ちょっと変な気分になりながら大きな部屋で2人で寝た

 

 

 9.11(10.11)