2011.9.13(2011.10.13 komoriharuka)

 

朝、八戸の社会福祉協議会へ取材に行く
八戸でもこの場所で災害ボランティアセンターを3月14日から開いていた
昨日三沢の社会福祉協議会の方に聞いたのだが、
青森県ではあまり災害が少ないのか
災害ボランティアセンターを立ち上げたのははじめてだったということだった
八戸の方は昨年災害ボランティアセンターを立ち上げるための準備をしていたという

立ち上げからいらっしゃったというお二人にお話をお聞きした
当時はガソリンもなかったが、各地から人がたくさん集まったと仰っていた
特に地元の高校生たちが一番参加していたそうだ
そういえば、わたしたちが北茨城ではじめてボランティアに参加したときも
地元の若い人たちがボランティアをしていた
あの雰囲気はこの震災で立ち上げられた「ボランティアセンター」とは
ちょっと違っていて、地元の人が同じバスに乗って手際よく片付けていた
町が全面的に被害を受けたわけではない場所では特に春休みだった高校生が活躍していた
という話をよく耳にする
こういう時に真っ先に動く地元の高校生の姿を見たら
そこに住んでいる方は元気づけられただろうなと思う

八戸では民家というよりは工場での被害が大きかったという
確かに漁港付近にはたくさんの工場が立ち並んでいる
工業施設はまだ復旧していない場所もあるとのことだった

八戸の局長さんは久慈市のボランティアセンターにも支援をしていたという
これから陸前高田にも行くとのことだった
局長さんがお話されていたことの中で
沿岸の被災地に企業が入ることについての話を聞いた
大手の企業はどんどん撤退しはじめている中に
ある会社が本社を東北沿岸へ移したと言う
沿岸では働く場所がなくなっている中で
企業が入ってくることによって働き先もできるし
名産もできるし、その町で仕入れるものも作られるようになるだろう
東北には企業の支社はあっても本社があまりないという
地元の地道な産業だけでは追いつかない問題が今たくさんあるし
若い人が町から出て行ってしまわないように働き先を確保しようと
それぞれの市町村が考えているというが、
実際にはどんどん都市へ出て行ってしまっていると聞く
その町に働く場所があって生活がなりたっていかなければ
続いていかないし、その問題に関してはこの場所だけで解決される話ではないような気がした
そういった動きはたくさんあるし、NPOでも働き先を作るような支援をしていたりするが
大きな企業の本社がここに移動してきたりしたら、単純に嬉しいし、盛り上がるよなと思ったりした(そうじゃない一面もあるとは思うが)
局長さんの話はとても面白かったので
また会いにきたいなと思う

それから、青森県立美術館へ行く
どんどん車がいなくなって、山道になって
ほんとに山しかなくなって
急に開けたかと思ったら牛が突然横にいたのでびっくりした

山道の中でトイレを借りにおでんやさんに入る
おばさんが1人店の中にいて編み物か何かをしていた
おでんを食べてまた出発
意外と長旅である

向かう間、これからのことを話していた
住むとしたらどの辺が気になっているかとか
瀬尾も私も行きたい場所はほとんど同じだった

青森県立美術館ははじめてだった

美術館の後は久慈へ向かう
来た方向へ逆戻りである
久慈にある古墳の湯を八戸の局長さんに教えてもらったので
そこを目指す
途中で吉野家だったかすき家だったかに入る
それからまたさらに久慈へ走る

すごく変な場所に古墳の湯があった
なんで古墳なのかは全然わからない
ラジオが駐車場まで聞こえている
ちょっと怪しげである
縁があって、あと二日もお世話になることはまだ当然知らなかった
それはまた明日の続きに書くけど
露天風呂の先は外で、たぶん頑張って草をかき分けて降りていけば市街地につくような気がする
お風呂っていうよりも、ただ裸で山の中に立ってる感じだった

結局そこには宿泊せず近くのコンビニで車中泊することにした
月がきれいな夜だった
なぜかまわりにも車中泊している車が数台あった
今日はほとんど何もしてないけど、移動のせいか少し疲れた

 

 

 9.13(10.13)