2011.9.16(2011.10.16 komoriharuka)

 

2:00
久慈漁港へ
焼き鳥と豚汁を買って
車のトランクをバーに見立てて立ち食いをする

漁港には船がたくさんついていたけど
まだ電気がついていなくて出る気配がない
少し不安になりながらもフラフラ歩く
暗いけれどよくみると建物が大きく歪んで壊れていたり
アスファルトがはがれて盛り上がっていたりした
ものすごく大きな浮きが塊になって置いてあったりもした

いくら待っても誰も来ないし寒いし眠いし結構あきらめかけていたときに
「ねぇちゃん何やってんだ」
と声をかけられた
漁師のお兄さんだった
船が出るのを見に来たんだけどと話すと
「3時だよ、これからみんな徐々に出ていくからもうちょい待ってな
カメラとりたいならあっちがいいよ」
とぶっきらぼうながら親切に教えてくれた

瀬尾を呼んで二人でその方へいってみると
徐々に船の灯りが点き始め
唐突に動き出した
あっちからこっちから順々に船が動き出し
列をつくって海へ出ていく
船によって音も色も速さも違うけど
きれいに一列になって進んでいく
目の前を通りすぎる一瞬
その船に乗ってる漁師さんがみえる
その中にさっきのお兄さんも乗っていた
私たちに気づいていたのかはわからないけど
こちら側を見ていた
眠気と寒さも混ざってか
すごく不思議な時間だった

それからまた古墳の湯へ
今日もこっそり泊めさせてもらった
ここの従業員さんはみんないい人だった

朝はコインランドリーにいって
本屋で震災関連の本を数冊購入

さて、今日はこれから山田町にいきます。

4月にも一度来たけど、その時は車で町役場へいって
かなり混乱している状況だったので引き返した
8月に大学の友人が一度来た事があるとのことで来た
その時訪れた場所は山田町の半島の方にある田の浜という地区
ここの神社を見に来たときに出会った田の浜の漁師さんたちにまた会いたいと思っていた

漁師さんたちは漁にまだ出れないので
瓦礫を燃やしたり海岸を掃除したりする臨時の仕事を日当をもらってやっている
前回も浜辺にあがった瓦礫を焚き火で燃やしていたのだが
まるまる1ヶ月たったこの日も同じように浜辺に集まって瓦礫を燃やしていた
田の浜は集落ごと流された場所で火災もありみなさん仮設に住んでいるという
15人くらいの漁師さんは
ちょうど休憩の時間でコーヒーを飲んでいた
みんな同じ赤いマグカップを使っていた
わたしたちもごちそうになる

私たちが砂浜で遊んでいる間、特に話しかけたりするわけでもなく、ただ見ていた
お話しているときも前回とほとんど同じ内容の話をした
おじさんの息子さんの話とか
この神社のお祭りの話とか
カメラにはフィルムが入ってるのかとか
どう映るのかを覗いたりしている様子まで同じだった

おじさんたちが今日朝に見たような船にのってる姿を見る日はいつになったら来るのだろう
やっぱり漁師さんは海に出ているときが一番その人らしい表情や動きが見えると思う
おじさんたちの船に乗っている時を見たい

今はまだ田の浜の漁港は再開できる様子ではなかった
瓦礫も散乱し、船も転がっていた
たくさんの船がこの場所から出ていくところを見たい

時間になるとおじさんたちは急に立ち上がり火を消し始めた
海水をかけられた瓦礫から煙がもくもくとあがる
あの火を消すときの手際のよさはなんなんだろうか
あっという間に片付けがおわり
おじさんたちは軽トラックに次々のりはじめて
列をつくって帰っていった
おじさんたちがいなくなるまでがとても早かった
取り残された私たちはただぼーっとそれをみていた

田の浜の海はとてもきれいな透明な色をしていた

まだ神社も片付けが終わっていないし
お祭りも再開できない
ここでは何かを受け入れている
津波のことも、漁師さんが海に出られないことも、お祭りができないことも
もっとその現状からどうにかしようとする勢いのようなものを
なぜかこの場所からは感じない
失礼な意味ではないのだけど
受け入れてしまっているというような印象を受けた

山田町の中心部の海には養殖再開のためのイカダが浮かんでいた
おじさんたちはいつになったら再開するかわからない漁を待っている
おそらく、今でもずっと毎日浜辺にいるのではないかと思う

それからボランティアセンターにいくが今日は取材できず
大船渡の温泉によって
石巻へ
今日の朝久慈にいたのに、夜には石巻専修大学にいる
なにげに移動したなと、我ながらびっくりだ

今日も車中泊
専修大学には他にも車がとまっているけど
前よりも少なくなった

 

 9.16(10.16)