2011.9.23(2011.10.23 komoriharuka)

 

朝、仙台駅のベンチ
瀬尾から着信が入ってる
やばい!
すっかり寝てしまった

急いで向かうと先日お会いしたOさんも一緒だった
朝、山形から出てきてくれたようだった
二人は蕎麦だかうどんだかを食べたようだった
謎の仙台駅での目覚めでぼやぼやしながら車に乗ると
我らが車の守り神のんちゃん(野田村のキャラクターのんちゃんのマスコット人形)の脇に緑色の丸い生き物が二匹ぶらさがっている
この二匹は豆武将という名前の仙台のキャラクターらしい
Oさんがもう一匹車内に忘れていた
どこかの道の駅に寄る度に増えていくご当地キーホルダー
ますますのんちゃんの趣味が悪くなってきている

そのまま相馬市へ向かう
福島にはじめて向かったのはつい最近なのにもう3度目である
この6号線にもすっかり慣れた

相馬市ボランティアセンターへ取材に行くが、今日も局長さんがお休みだったので、また改めることにする

それから東松島市へ
一度東松島市には来たがちゃんとボランティアセンターに行ったことはなかった
ボランティアセンターへ行くと
外にテントを張って活動されていた
台風のせいかまだ少し風が強かった
テントがバタバタ音をたてている
まだ土嚢袋や一輪車があったので瓦礫撤去の活動を続けているのかなと思った

事務所にいくとすぐに取材を許可して頂いた

対応してくださった方は東松島市に引越してきて住まれていた方だった

最初はボランティアに参加していたのだが次第に運営に携わるようになり、今では代表までつとめていらした
奥さんもボランティアセンターで働いているようだ
みなさんとても仲の良さそうな雰囲気だった

その方は地震の時にご近所の方に声をかけてもらって避難できたと言っていた
引越してきた身だったけどすぐにみなさんが呼びに来てくれたという
東松島市には避難所が高台にない場所もあり避難所ごと流され被害にあった方もたくさんいらっしゃった

地震があった時の対応はすごく難しいけれど、
集団の中に誰か一人でも津波が来るかもと思ってる人がいるかいないかで随分違うものだと思う

今回の震災で、津波からの避難に関しては何が正しいとか
どうすればよかったかとか、検証はたくさんされていると思うが
その場の判断みたいなのはその時にしかできないし、
逆に前知識がなくて逃げれた人もいると思う
車に乗っていて水がきたら車からでるのか、そのまま乗ったままにするのか、とか
海がどちらの方向にあるかとは関係なく襲ってくる波に対してどの方向に逃げるのかとか
どのタイミングまで走ってどこから上に登るかとか
いろんな判断がたくさんの場所で生じていたと思うけれど
それはいくら防災しても防ぎ様のないことだなと思う
あれは正しかったのか、正しくなかったのか、みたいなことは
報道でも雑誌でもメディアで持ち上げられているけれど
その人たちが取るべくして取った手段はもっと現地では受け入れられているような気がする
(場所や地域によってそれも違うと思うけれど)
何となく私がこちらにきて思うのは、
これだけの震災のことも、どこか1000年に一度だから、とか
自然災害であることとかが当たり前のように受け入れられている面があって
未曾有の、とか、想定外のという言葉よりもしっくりきてしまう
元々自然と共存している生活があってこその自然災害であるのだなということに気付かされる
その上でここに住む人がこの事実とどう向き合っているかがわかるんじゃないかと思う

取材を終えて、
以前訪れた東松島のある地区へ向かう
そこは色んなことが積み重なって、そこにあるものとは関係なく
あまり良くない印象がついてしまったような気がして
その時は時間帯も薄暗い夕方だったので
昼に見たら違うのではないかと思い前々からもう一度行こうと話していた

海岸の方へ向かって行く
前に来た場所と同じ道を通る
津波によって倒壊した建物や
流されてきたものが更地の中にぽつぽつとある
その回りには崩れた崖や削れた小さな山?やその穴などが視界に入ってくる
やっぱり風景がそもそも持っている恐怖みたいなものは
もう一度改めてその場所に来てもあった
更にどんどん奥へ進んで行くと
全然片付けの終わっていない場所についた
何人か見物人がいた
道路はぬかるんでいて、側溝もなくなっているため
ぎりぎりのところで車とすれ違わなければならなかった
道路にはいろんなものが落ちているのでちょっと間違えたらタイヤもパンクしてしまう
前にも後ろにも障害物があってUターンするのに一苦労であった
やっぱりこわいよね、と話しながら
また仙台に戻る道へと急いだ

いろんな場所をまわってきているけれど
何度来ても馴染めない場所はやっぱりあるし
何回東北に来ていても一度もいったことのない町もあるし
拠点をもたずに動いている私たちだが、
やっぱりその中でも引き合わせる何かがあるんだろうなと思う
それはわりと二人とも同じように感じているのが面白いなと思う

仙台への道はすごく渋滞していた
この道はよく混むのだけど、いつもこんなに混んでいるのだろうか
渋滞は何度経験しても慣れないし、不快だなーと思う
みんなこれを毎日の通勤で体験しているのだったらすごいな

東松島市のおとなり松島市は、
日本三景の松島が波を分散してくれたおかげで津波の被害が少なかった
この沿岸の中では特殊な場所である
昼間には観光客がたくさんいた
この松島の景色が失われなかったことは、市民の方を支えてきていたと思うし
これだけの観光客が戻ってきてくれていることも相乗して
通りすぎただけだけど活気のようなものがあった
もうこの場所は被害があったのかどうかもわからないし
ここだけ見ていたらそのすぐとなりの町がどうなっているのかも想像つかないだろうなと思う

仙台について山元町で知り合ったAくんのお友達、Oさん、それからIくんに会う
一緒にお酒を飲みながら話をすることに
あとからAくんも到着
東北で知り合った初めての同年代の友達なので
気軽にいろいろなことを話せた
どうしても東北で活動している若い人は
何かのNPO団体であったり、大学であったり、
個人として知り合えることはなかったし
その人が何を考えているかとか、自然とそんな話をすることもなかった
Aくんたちと出会えたのは、偶然だけど、
わたしたちにとって本当によかったな、と思う
同じ話ができるっていうのがそういえばなかったなと思った
それはそれで不思議なことだな、と思う

その日はおそくまで起きていた
みんな明日はやいと言っていたのに大丈夫かなと心配だったけど
まだまだ話したいこともたくさんだったし、
でも、また会えそうな気がしたので、また話そうっていって
寝ました

 9.23(10.23)