2011.9.25(2011.10.25 komoriharuka)

朝、北上で起きる
北上のネットカフェとカッパ寿司には
岩手沿岸の度にお世話になっている
今回は車中泊だったけど、、
その通りを通り過ぎてそのまま沿岸へ向かう
ファミリーマートで朝ご飯
ちびまるこちゃんキャンペーンで飲み物についていた
はまじとブー太郎のキーホルダーを車につける

釜石市のボランティアセンターへ
釜石には8月に一度来たことがある
その時は大学の友人Nが釜石に来たことがあるとのことで行った
町の中心部は建物が残ったまま、片付けが終わった場所もあれば
そのままのところもあり、
商店街の機能は失ったまま形だけ残り
あとは解体されるのをまっているような
そんな印象をうけた

ボランティアセンターは、駅近くに仮設で設置されていた
局長のNさんが対応してくださった
釜石の地図を見ながらどこまで津波が来たのか
どうやって避難したのかというお話から始まった
集落そのものがすべて流され家が一軒もない場所もあるという

その方も生まれてからずっと釜石に住まれている
釜石は岩手沿岸では大きな町で
昔は製鉄所がありとても栄えていた
今でもその名残で線材などをつくる工場がたくさんある

元々津波が来る意識はあったのだが
地震があったとき、3mの津波が来るという放送が流れたそうだ
5mの防波堤もあるため、町に住む方は安心してしまったという
前はここまで来たことないから大丈夫だという過信もあった
しかし実際に到達した波は19mもあり犠牲になった方もたくさんいらっしゃった
学校の教育では防災訓練の時、津波の訓練も徹底していたため
小学校や中学校などの子供たちはみんな助かったようだ
この町をこれから支えていく子供の命が無事で本当によかったとおっしゃっていた

今は仮設住宅に住まれている方がたくさんいらっしゃる
若い人は買い物にでもすぐに盛岡とかまで出て行けるけど
お年寄りは近くのスーパーに行くのも精一杯なのに
山の方に仮設住宅もでき、それもなくなってしまった
でもここに住む人たちは自分たちがまたお店をはじめることや
ここに住み続けて釜石をよくしていきたい、守っていきたいという気持ちが強くあるという
元々この町で働く人も多いそうだ
漁業も、船がなかったり氷をつくる機械がなかったりで再開できていないそうだ
仕事のなくなってしまった男の人は
家でも何もできず、奥さんに怒られたりして肩身が狭いんだ
早く復興して男の人が働けるようにならないとと話されていた

ご家族をなくされて仕事もなくなって
1人で生きていかなければならなくなってしまった方もいらっしゃると
涙を浮かべながらその方のお話をしてくださった
その方が残された命を捨てることのないよう
生きることが楽しいと思えるようどう支えていくか考えていると話されていた

何を支援するのかというのはすごく難しいのだけれど
そこにずっと住み続けている方が考える支援の形はちゃんとあると思った
今言われている心のケアだとか、仮設住宅に住む人の支援だとかは
前も書いたけれど外側の人間ができないことが多い気がする
お話を聞いているだけでも、その人に対して、生きてほしい、
一緒にこの町で生きていこうという思いが伝わってきて
その思いが本当に人の命を救うことがあるのだと思う
生きるかどうかはその人の判断という考え方もあるかも知れないけれど
そうではないなと私は思う
家族でもなく、友達でもなく、ただ同じ町に住んでいるというだけでしか
関係がなかったとしても、その町に住む人をみんな大事に思っている人がいて
その人の言葉で生きていくことができるのであれば
ほんとうにすばらしいことだと思う
(すばらしいという表現がいいのかわからないけど)
私はそういうところが人間てすごいなと思う

Yさんは本当に釜石が大好きなんだと思う
それがすごく言葉とか話し方から伝わってきて
自分が釜石に生まれ育ったことを誇りに思っている
社会福祉協議会の仕事も本当は5月で退職であったようだが
今でもこうして勤務している
トップで仕事をまわさなければならないのだけれど
それでも自分で足を動かして現場で走り回っているそうだ

今度はYさんに釜石を案内してもらえたらなと思う
わたしたちは取材で来たのだけれど、
さりげなくYさんの電話番号も書いて下さった
また連絡して、釜石に来たいなと思う

釜石で以前食べれなかった海鮮丼のお店にいく
ネギトロ丼とづけ丼を食べた
とってもおいしかった

大槌町へ向かう
大槌はずっと気になっていたけれどちゃんと来たことがなかった
つくとパチンコやがあって、そこも津波の被害にあっているのだけれど
ボランティアセンターが設置されていた
そのボランティアセンターは支部だったのであとで本部に行くことにする
車からおりるとその辺りはほとんど何も残っていないのだけれど
そんな風景の中お祭りが開催されていた
神輿をかついで壊れた建物の前を歩いている
すごい光景だった
ボランティアセンターは担当の方がいらっしゃらなく次の日に行くことにする
なのでお祭りをやっている会場へ行った
その時はステージで山田町の八木節をやっていた
なんと言うかみたことのないステップというかリズムというか
かけ声も音楽もはじめてだった
独特な踊りがとってもおもしろくてずっと見てしまった
この大槌町は祭り好きらしく、このお祭りは
朝からずっとやっているそうだった
会場も3会場あった
今回は震災があったので山田町からもたくさん神社が参加していた
たくさんの神社がそれぞれ獅子舞や虎舞を披露したり、神楽をやったり
神輿をかついで演奏したりなど
踊りや音楽もそれぞれ全然違っていて、とても興味深かった
みんな小さい時からお祭りで踊ったりするのが楽しみでたくさん練習するそうだ
参加している人はほとんどが若い人だった
出店でみそもちを買って食べながらみる
私の友人の友人Oさんが大槌町出身の映画監督なのだけれど
Oさんもお祭りに来ているとのことで会うことになった
以前からお会いしたいなと思っていたので大槌町であえて嬉しかった
Oさんはおじいさんも亡くされていて、実家もすべて流されてしまった
母校の小学校も焼けてしまったそうだ
それから大槌町で作っていた映画の続きをこの場所でも作っているという
また東京でゆっくり会いましょうと話してさよならする

それから大船渡へ取材に
残念ながらもう閉まっていたため、この日は大船渡の温泉に行くことに

その前にダムによる
瀬尾がダムに行きたい!と前々からいっていたので
明るい時間にいけてよかった
私は山の方に実家があるのでダムは見慣れていて
何がいいのだか最初わからなかったのだが
ついてみると、とっても変な景色だった
山の間に巨大なコンクリートの構造物があって川がある
すごく高くてどのくらい高いのかわからなかっった
瀬尾は写真をとっていた

温泉の後もダムにきて
寝転がって星をみた
すごくきれいな星だった
流れ星もみた、長い流れ星だった

ラーメンやさんでラーメンをたべて
ローソンに車中泊する
この日もとても冷え込んでいた
車中泊もさすがに慣れてきたが
朝起きたときの身体の調子の悪さとか
自然と起きるんじゃなくて暑くておきるとか、まぶしくて起きるとかで
あまりよくないなと思ってきた
あとは、机がないとできないことってたくさんあるなと思う
机って大事だなー
前にハンドルがあるのも、なんだか面白くて、
まったく便利さがない感じが嫌いじゃないなと思う

 9.25(10.25)