2011.9.26(2011.10.26 komoriharuka)

 

朝は昨日行った大船渡のボランティアセンターへ
みなさんが外で資材を洗っているところだった
取材をさせていただく

取材させていただいたTさんは
元々は大船渡の出身だが、盛岡で仕事をされていて
春に大船渡に戻って来る予定だったという
その直前に震災があった
当日は盛岡も停電していて大船渡の情報はワンセグで宮古の報道を知り、
自分の家はもうだめだと思ったようだ
元々大船渡では地震が来ることも津波がくることも予想はしていたという
お家も被害にあわれ、今は仮設住宅にいらっしゃる
若い世代の人は大船渡から離れ別の地域で仕事をしている方も多いそうだ
それでも昔から住んでいる人や漁師はずっとここに住み続けている
今までもそうであったのだが、震災以降それがさらにはっきり別れてしまっているという
Tさんのお家もチリ津波でも被害にあわれ
同じような場所にもう一度家をたて、さらに今回も流されてしまった
Tさんご自身は後の世代のことを考えるとまた同じ場所には住みたくないという気持ちがあると仰っていた
世代の違いは大きくあるようだ
そこに住むしかない人もいるけれど、そうではない人は
市外に出て行った人もいる、むしろそちらの方が多いのではないかと
それでも、若い人にもここが故郷である意識は強く持っているし
いつかは帰ってくる場所として大切に思っているような気がする
その土地を自分の生まれた土地として大事に思う人たちがいるから
それはきっと受け継がれていくし、今までもそうやって続いてきたのだと思う

大船渡の取材を終え、大槌町へ向かう
その途中の道の駅で
瀬尾がお花のついたゴムを買ってくれた
のんちゃんがさらに不思議ちゃんになった

大槌町のボランティアセンターにつく
ここはとっても変な場所にあって
すごく狭い道を登っていくと仮設のセンターが並んでいる

謎の置物が円をつくって置いてあったり
センターの外に貼られたお茶のみやキャラクターたちのプリントも不思議で、
なんなんだ、と思っていた

中に入ると昨日案内してくれた若い女性のスタッフさんが対応してくれて
今日は立ち上げからいる職員が外にいますよーと教えてくれた
その方は風邪をひいていらっしゃる上に、タバコをすっていた
手には指の部分がない黒い手袋をしていて
服装も顔つきもヤンキーみたいな人だった
そこにいらっしゃる若いスタッフさんはみんなギャルかヤンキーみたいな格好である
昨日見たお祭りにいた若い人もみんなそうだったし
大槌町ってなんなんだろうとまた不思議になった

話しかけるとインタビューを受けて下さるとのことで
中に入るとKさんは音楽をかけて正座をして始まった

大槌町は町が全部流されてしまった場所である
町を動かしている機関がほとんどなくなってしまい
街中も多くが流されてしまった
元々大槌町に津波が来るという意識はあったのだが
津波がここまで来るという意識の方が強く
家や商店街もつくられていて、それ以上は来ないと思っていたようだ
社会福祉協議会も流されてしまい、職員さんで亡くなられた方もいらっしゃった
Kさんも山まで避難して、そこから町をみたとき何もなく、水と火しかなかったといっていた

直後はボランティアさんもたくさん来たようだったが、
ガソリンもない、道もない、建物もない状態でボランティア活動をできるような状況ではなかったという
壁にマップがはってあって、地域ごとによって色分けがしてあり
ここまでは自衛隊、警察の管轄、そうではない色のところは
まだ家が残っている場所で、そこに住む意欲がある人のお家の泥かきをしたそうだ
そのマップも歩いてつくったという
今も仮設住宅と在宅している方一軒一軒の地図を職員さんがつくっていらして
そういった丁寧な手作業が気になった
作業はとても大変なものだと思うのだけれど
環境が整っていない中でもそれをやろうとしたことが
このボランティアセンターの機能をハードとソフトの部分で支えている気がした

また大槌町は小さな地区ごとの結束が高く、一見まとめるのが大変かと思ったが
逆にその地区ごとにまとまっているから、それを生かしてその地区のキーパーソンの方とつながって進めていくことができたという

住民の方が大槌町に住み続けていきたいという気持ちはたくさんあるという
だからそういった人たちに小さなことでも役割を与えていくことで
その人がどこかで必要とされていれば、その先の復興にも繋がっていくのではないかと仰っていた
そこまで考えているボランティアセンターの方にははじめてお会いしたような気がした
お花の水やりとかそんぐらい小さなことでも与えて、
誰にも、自分いらないじゃないかと思わせたくないという言葉が印象に残っている

それから復興計画のことをお聞きするとご自身が考えたものすごく明確な計画を話して下さった
防波堤で近くに住んでいた人は波が来ていることが目に見えなかったから
防波堤はもういらない、海岸は全部砂浜にして、被害にあったお家のところは公園にして
漁業が海にあり、山には農業があり、その間には自然があって、高台に住宅がある
そうなればいいんじゃないかなと
まだ町の復興計画は出ていない時期だったが、若い人がこれだけ考えていることにびっくりしたし
その計画でいいじゃないかと納得してしまった
この町は偶然かもしれないけれど若い人の姿をたくさん見かけて
町はなくなってしまったけれどどこか活気のある印象を受けた

取材後に私たちと同い年の女性のスタッフさんたちと少しお話しした
家に泊めてあげたいけど、うち流されてるから仮設なの、と笑っていた
その方たちの趣味が、センター内には散りばめられていて
仮設住宅もアンパンマンのキャラクターで名前をつけてあったりしていて
外に置いてある円をつくっている置物たちは、シェンロン呼んでるんだと仰っていた
お話してやっとこの装飾の意味がわかった
仮設住宅も派手な感じなんだろうな、と思う
大槌町はまた来たいなと思う

それから山田町へむかう
その日取材してくださる予定の方がお休みで
別のスタッフさんが対応してくださった
山田町のボランティアセンターは社会福祉協議会と
別のNPO団体が一緒に運営しており
その団体が町民を雇用して活動していた
あとは三重県からずっとボランティアが来ているようで
三重県から送られた応援メッセージがずらっとはってあり
その雰囲気もどこか特殊であった
あまりこういった同じ地区、あるいは同じ団体からの支援で活動している場所は
聞いたことがなかった
取材を受けてくださった方は同い年くらいの山田町の出身の方だった
元々津波が来るという意識もあったそうで
小学校の時に全校生徒で町民にむけて行う
津波の演劇があったという
それは毎年行われているそうだ
そのビデオはいつか入手して見てみたいと思う
以前石巻市社会福祉協議会でもそういった住民にむけての演劇のお話をきいたが
小学生たちが行う演劇は全然主旨が違いそうだなと思う
防災のためなのかどうかも怪しいと思う
それでも受け継がれてきた津波の経験が
こういった年間行事の中に組み込まれているのはやっぱり珍しいと思うし
その上で子供たちにも認識されているのだとすればいいことだなと思うけれど
実際の防災とどうつながっていくのかというのは、また難しい点だと思う
時間がなかったため取材は早く終わってしまった

そのあと、以前ここでお会いした山田町出身のYさんにお会いする
Yさんは毎朝ヘリコプターにのって遺体捜索をしているという
そのヘリを操縦しているKさんという方にもお会いして、
私たちの状況を話すとボランティアセンターの裏にあるペンションに
泊めさせて下さることになった
お友達のMさんも一緒にペンションへ向かった
お風呂もいただいて、そのあと居酒屋にも連れて行って下さった
居酒屋につくとそこは陸中山田駅のすぐそばの仮設で作られた場所で
8月に来た時に、お店こんなところでやってるんだ、と瀬尾と話していた場所だった
その周辺はすべて建物はなくなっていて、駅ももちろんなくなっている
そこに居酒屋の看板の灯りが並んでいるのはなんだかすてきな光景だった
お店は大繁盛で急がしそうだった
みんなやっぱりここに集まるんだなと話し声が聞こえた
そこで漁師の方と、板前さんとみんなでお酒をのんでご飯を食べた
漁師のおじさんの大航海の話をたくさん聞いて楽しかった
働いていた居酒屋のお姉さんは元々は自分の店があったのだけど
まだ再開できないからここで働いているのだと言っていた
みんな再開してほしいと声をかけていた

気付いたのだけれど、KさんとMさんの存在はどこか変で
一帯何を考えてここに来ているのかも、何をしようとしているのかも分からなかった
これからやろうとしているビジネスの話も、漁師さんとは考えがちがって
何の為にやろうとしているのかと思ってしまった

それからとなりのスナックに移動した
スナックには今まで何度か地方に旅をしたときに
必ず知り合ったおじさんに連れて行かれるので
またか!とちょっとしたデジャブ感があった
みんな酔っぱらってしまってカラオケを歌ったり色んな話をしていた
ママさんは、やっと再開できた話や、ここで働く人は
家があるけど働き先がなくて保証も貰えない人たちを雇っているのよと話して下さった
そのお話をされているとき、なんだか涙ぐんでいて、よかったらまた来て頂戴ねと言われた
Kさんは酔っぱらってしまって、元々テレビ関係のお仕事をされていたらしく
映像をとっている私にはいろんなことを語ってきた
明日の朝、遺体捜索のヘリコプターにのるかどうかみたいな話になって
この町で何がこうなってしまったのかをもう少し知ろうとするならば
それに乗ってもいいかと思ったけれど
1人しか乗れないし、それ以上に関わりたくないという気持ちが瀬尾も私もあった

その後ペンションに戻る
この数時間で色んなことがありすぎて
せっかくご飯もいただいて寝床も用意して下さったのだけど
これ以上はいられない気がしてしまった
私はお酒のせいもあり早々に寝てしまった

 

 9.26(10.26)