2011.9.29(2011.10.29 komoriharuka)

 

起床
瀬尾がすごい寝た!と自分でびっくりしていた朝だった

朝は相馬市へインタビューに
センターにつくとものすごい車でいっぱいだった
何があったのかと思うと、その場所で東電の説明会が行われていたようだった
詳しくはわからなかったけど

センターに行く
今まで何度か来ていたのだが、やっとKさんにお会いできた
Kさんも生まれも育ちも相馬市の方だった

元々相馬市は少し大きな町で、この町で働く人が多い
原発関係の仕事をされている人も多いそうだ

相馬市ではやっぱり南相馬市とは原発事故の受け止め方が全然違うことに驚いた
ボランティア活動でもここは線量が低いので
放射能のことで気を使っていたことはあまりなく
その人がここにいたという記録だけは永久保存すると仰っていた
何か症状などがでたときに相馬にいた証拠を残しておくのは絶対にしておきたいということだった

ボランティアセンターは団体やNPOを一切受け付けず
そういった支援団体は相馬市で独自に立ち上げたという
色んな問題をこの町の組織だけでなんとかするという姿勢がすごく感じられた

それはこれからの仮設住宅支援のお話の中でも出てきていて
相馬市の仮設住宅には飯舘村や南相馬市などの地区からも入居者が来るとのことだった
その町の人のことはその町の社会福祉協議会で解決してもらいたいという話をされていた
それでも同じ棟に違う市町村の人が住む可能性もあるらしく、線引きが難しいと仰っていた

色々とその町ごとの方針はあるのだと思うけど
その市の仮設住宅に住むのであれば
もう相馬市民同等なのではないだろうかと疑問を持ってしまった
飯舘村の社会福祉協議会が色んなところに点在している村民のケアをするのは
無理があるし、いちいち足を運ぶことも難しいと思う
飯舘村だけではなくどこもそうなのだけれど
色んな町の仮設住宅に散らばってしまった人たちは、
いつまで避難が続くかわからない中でもその町でしばらくは
生活しなければならないことは目に見えているし
その対策は、受け入れた市がどうにかするべきなんじゃないかと思うのだけれど
もちろん相馬市もとても大きな被害にあっているし
自分たちの問題も山積みであるのはわかるのだけれど、、

相馬市長が「相馬市は安全だから住民は外の町に避難しないで、ここに残ろう」という宣言をしていたそうなのだが
それを当たり前のようにKさんも疑っていなかった
本当にそうなんだろうかと、思ってしまう
離れているといっても、どこまでが安全かもわからないこの原発の問題に対して
それはちょっとおかしいんじゃないかと思った

色んな面から感じたことであるが、相馬市まで来ると原発の問題もどこか人ごとで
同じ福島県なのにここまで違うのかと、正直驚いた
前にも書いたのだが、ものすごく細分化されて問題は受け止められている
それが市町村単位、地区単位、個人でくっきりと見える
実際に問題に直面しているのは、本当にごく一部なのではないかと
それも、とても田舎の小さな町、地区の一部でしかない
色んな形で問題は浮上している
もちろん東京でも出てきているし、静岡でも、大阪でもでているが
ずっと突きつけられて身動きがとれないのは、私が想像していた人たちとは違っていた
ニュースを見ていても漠然としか考えることができなかったし
今までに見た複数のインタビュー映像でも、その人のいる地名がどこであろうが
福島県というだけでくくって問題をまとめてしまっていたような気がしている
当たり前かもしれないのだけれど、自分たちにふりかかっていない問題は
どんなに距離が近くても人ごとであるし、ニュースで私たちが得ている情報と同じ情報でしか知らない

もはや、そこに住んでいるかどうかというよりは
その問題に関わろうとしているかいないかなのだと思う
それは原発に関することだけではなく、この3.11で起こったあらゆる問題に対しても同じである

相馬市をあとに、名取市へ向かう

途中でうどんやさんに入った
うどんがおいしくて幸せだった
洗車もする予定だったが気付いたら時間がギリギリだったのでやめた

名取到着
以前から取材をお願いしていて
はじめて来た時に対応してくれていたKさんもいらっしゃった
Kさんは、「わたしは途中からきたから、当初からいる人がいいよ」と言ってくれて
その時もたくさん名取のことを教えて下さった
とても親切な方だった

今日、取材を受けてくれたのは名取市出身のSさんだった
Sさんは地震発生からのことを、「あんまりちゃんと覚えていないんですがね」と
あやふやな記憶をたどりながらも話してくれた
名取は震源地も近かったため、揺れもとても大きかったそうだ
立っていられる状況ではなかったという
地震のことをここまで丁寧に話して下さった方はあまりいなくて
地震だけでもとんでもなく大変だったことがわかった
東京でもあれだけ揺れたのだから相当な揺れだったのだと思う

名取市ではボランティアセンターはすぐに開設された
初日はスタッフさん同士で研修までやったそうだ
ボランティア活動の参加も地元の方がたくさん来てくれたという
ボランティアさんをみんなでお見送りするのをかかさずやっていたそうだ
Sさんの人柄もあるのかもしれないけれど、
その様子が想像できて、なんだかいいなーと思った
他のセンターで、気持ち悪いくらい「ボランティア歓迎!」なところがあったけど
そういう雰囲気でもない気がして、名取のボランティアセンターは参加したかったなと思う

名取市は色んな決断が早かったようで、宮城沿岸の中でも仮設入居も早く
瓦礫撤去作業もいちはやく終わっていた
早さを懸念する声を新聞で読んだことがあったけれど、
実際に現地にくるとまだ方針が決まっていないから身動きのとれなくなっている地区はたくさんあった
次へとどんどん進んでいけるのは住民にとっても安心だったのではないかと思う

「名取市はすてきな市です
子供たちにもずっと住み続けてほしい
色んな人にも名取に来てほしいし、名取のことを忘れないでほしい」
Sさんは本当に名取市のことが大好きなようで何度も話されていた
話し方がとてもすてきな方で、ほっこりしてしまった

取材を終え、本当は予定がはいっていたのがなくなったので
洗車をしに行く
すごく怪しい洗車場である
人は誰もいない
瀬尾がなぜだか間違えて1000円のカードを買ってしまったため
掃除機をかけたあと、手で洗う洗車と、機械洗車と2回もやってしまった
我らがシビックがきれいになって、実はパーツによって色が違うことが判明した
瀬尾がビショビショになりながら泡やら水やらワックスやらと闘っていたのが面白かった

いつもお世話になっている仙台のKさんとMさんと青森から来たAさんと一緒にごはんをたべる
久しぶりにあえてなんだか嬉しかった
今まで色んなものを見過ぎて何から話したらいいかもわからなかったけど
2人もとても疲れていた様子で、またゆっくり話せる時に話したいなと思った

明日は南相馬市の鹿島地区へインタビュー
それで最後のインタビューだ
まだ全部を回れたわけではないけれど30人くらいは取材したと思う
全然消化しきれていないけれど、映像をゆっくり見直したいな
残り一日、最後どこに行くかを決めていないけど
寝ました

 

 9.29(10.29)