2011.9.5(2011.10.5 komoriharuka)

石巻へボランティアセンターのインタビューに
石巻専修大学はわたしたちが4月にはじめて来たとき
いわゆるニュースで見ていたような「ボランティア」を経験した場所だった

石巻ボランティアセンターはNPOの団体もたくさん入ってきた場所で
仙台から近いこともあって人が集まりやすい場所であった
専修大学にはテントがいっぱいはってあって、
バスも車もたくさん駐車してあった

今では専修大学の学生の姿の方が多く見かけるようになった
もちろんまだボランティア活動は続けているし、
テントもはっているのだけれど、前の状況とは一変していて少し驚いた

社会福祉協議会が設置されている教室に入ると
アポなしであったにも関わらず取材させてくださるとのこと
石巻出身の若い職員さんがお話を聞かせてくれた

石巻では巨大地震がくることも、津波がくることも想定していたという
だから防災に対しての取り組みは以前から進めてきていたようで
あともう一年時間があればもっと完璧だったとおっしゃっていた
ボランティアセンターの立ち上げについても専修大学と決まっていて
その訓練も今社会福祉協議会が設置されてるこの教室でやっていたという
他にも職員さんたちがずぅずぅ弁(宮城の方便)で地震が来た時にどうしたらいいかというのを演劇にして市民の方に見てもらっていたという
その演劇はおもしろおかしいもので、字幕がないと若い人ではわからないくらいのずぅずぅ弁らしいのだが
震災が起こったとき、一人暮らしのおばあちゃんがとなりに住むおじいさんに相談する→民生委員さんに相談する→社会福祉協議会に相談する
というのを伝えるためのものであった
災害時に社会福祉協議会がボランティアセンターを立ち上げることを知らない人も多いと思う。私も正直知らなかった
災害が起こったときにどうするかを伝えることは、同時にその危機意識を継続させるのにつながっている
インタビューを続けていて、元々来るのがわかっていたという地域と、こんな津波がくるのは想定していなかったという地域とある
日本に住んでいる以上どこに地震が来てもおかしくないし、津波が来てもおかしくない
でもその意識を呼びかけ続けることができるのは市町村単位であると思うし、もっと小さな町内会とか自治会とかであると思う
震災が起こってしまった時は、おとなりご近所さん同士で声を掛け合えるようなコミュニケーションが以前からとれていたかとか、そのご近所さん同士で逃げるかとどまるか判断できるかとか、そういったつながりで一番命が助かるのではと思った

お話を聞かせてくださった職員さんは、この先の伝え続けていくことを熱く話してくれた
地元の若い人がその地域をどうしていきたいかという思いは、一番現実的で説得力もあって、政府が色々考えてるどんなプランよりもその地域にとって大事なものなんだと思う

インタビューをおえ、石巻のおじちゃんの家を訪ねる
4月にわたしたちがボランティア活動をしていた時に通りかかった家で
1人で黙々と作業をしていたおじちゃんに声をかけたのがはじまりだった
依頼された活動をおえてからおじちゃんのところにいって
手伝おうとしたけどおじちゃんは私たちには片付けをさせなかった
すぐ近くでやっていた炊き出しのことも物資配布のことも知らなくて
流された鍋をかりてみそ汁とごはんをおじちゃんのお家にもっていって3人でたべた
おじちゃんは外に出された洗濯機にテーブルクロスをかけてくれた
その後大工さんたちを呼んできて一気におじちゃんのお家を片付けた
大工さんは力持ちでみるみる片付けてくれて、おじちゃんも安心して任せていた
女の子に手伝ってもらうのは、おじちゃんのプライド的に許さなかったんだなって思った
それがおじちゃんとの出会いのはじまりで、石巻にいくときは会いにいっていた

今は息子さんのお家に住んでいて、ちょうど私たちが訪ねたときおじちゃんは片付けをお手伝いした家を見に行ってるとのことだった
わたしたちもそのお家にいってみる

駅前北通り
道には家の中からだした瓦礫やゴミなどがたくさんたまっていて、
車がとおるのもやっとだった場所
今ではすっかり津波がきたこともわからないくらい綺麗になっていた
ファミリーマートも再開していた
お魚やさんも再開していた
その通りから一本はいったとこにお家がある
おじちゃんはいなかった
もう解体されると聞いていたけど、まだそこに建っていた
もう一度建ってるところを見れてよかったと思った
ななめ向かいのお家は解体されていた
なんとなく、次はおじちゃんの家が解体されるんじゃないかって思った
もう住むことはないけど、毎日家の様子を見に行ってるといっていた
あとは解体されるのを待つ家を毎日見に行くってどういうことなんだろ

骨格だけになってしまったからっぽの家を守っている

人がいて、そこに暮らしがあってそれで家ってあるんだと思ってたけど
なんか違うかもしれないと思った
もっと全然違う、人がそこに住む理由とか、その場所を大事に守っていることとか
その土地でなくてはならない人との関係ってあるんじゃないかと思った
うまく言えないけど

そのあとは石巻の鹿妻南にあるおばちゃんのお家へとめさせてもらいに行った
おばちゃんも4月からずっとお世話になってるおうち
玄関も台所もお風呂もすっかりきれいになっていた
物資で配布されたお弁当をたべる
テレビでおじちゃんが録画していた石巻の大川小学校のドキュメンタリー番組をみる
同じ石巻でもテレビで見ていると、やっぱりそれはテレビの中の話にみえてしまう
私たちが映像で取材していることも協力してくれるとのことで
明日は5月までおばちゃん家に住んでいたコンちゃん夫婦の仮設と
避難所で生活している方のところに連れて行ってくれることになった

おばちゃんのお家にはハエとりのテープがぶらさがっている
まだハエがたくさんとんでいる
入ったことのなかった奥の畳のお部屋に布団をしいてくれた
まだ片付け途中のものがたくさんあった
賞状もたくさんあった
床板は直すためにはがれた状態になっていた
もうほとんど分からないくらい元の生活に戻っているのだけれど
ちょっとしたところにまだまだ津波がきたことが残っていて
私もここにいると自然に4月の状況とか忘れてしまっていたけど
家の前には車がたくさんつまれていたし、玄関も入れなかったし

おばちゃんが見せてくれた罹災証明のための家の写真
ちゃんと覚えておこうって思った
わたしたちも知らない時のお家の写真

明日は早いからはやく寝ようねっていったけど
結構起きてたような気がする、気のせいかも
でもすっごいお腹いっぱいだったのは覚えてる

 

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