2011.9.7(2011.10.7 komoriharuka)

昨夜合流した大学つながりの友人3人を乗せて山元町へ
私は若干寝不足である

山元町へも私は以前1人で行っていた
その時も強行突破でいったのだけど
はじめて行った仙台以南の場所にどきどきしながらも
まわりの風景がどんどん緑色だらけになっていく6号沿いを走って
のどかな田舎だなーと思って向かったことを覚えている

山元町の町役場は6号沿いにあって
ボランティアセンターも写真洗浄も仮設住宅も近くに揃っている
歩ける距離に揃ってるのって地元の人にとってはありがたいことだろうなって思う
もちろん仮設住宅は役場近くにないのもあるけれど

ボランティアセンターの取材を終えてからずっと気になっていた写真洗浄の会場に
その時はまだ洗浄をしていて、ボランティアの人が作業中だった
中に入るときれいにアルバムがならんでいて
ここだったら落ち着いて探せるなーって思った
その時はじめてお会いしたAくん
同い年で、山元町の写真洗浄プロジェクトをやっている人の1人
Aくんが若干挙動不審なわたしに色々と説明してくれた
ほんとにいい人に出会えたなーって思った
そのAくんに今度は瀬尾と一緒に会いにいきたいなと思っていた

で、この日にやっといけたのである
山元町は写真洗浄の様々なプロジェクトの中でも
早い段階でいろいろな試行錯誤をし洗浄だけでなく複写や
それからの検索システムにも力をいれていて
今までお会いした写真洗浄をしている方々も山元町は行ってみたいという声が多かった
その人の元に写真をお返しできるかを色んな角度から試している
アルバムの表紙と数枚の写真を一枚にプリントしたものがファイルにまとまっていて、そこから自分のアルバムが見つかったら本体にたどり着けるようなシステムになっていて
大量の写真やアルバムを一枚一枚みて探すよりももっと見つけやすい工夫がしてある
それがipadにも入っていて、ipadを使って探す事も出来る
また、パソコンでオンライン(その場所でしか使えない)上にある専用ホームページにも写真がアップされていて、タグ付けされているので
「結婚式」とかキーワードをいれて探すこともできる
そのサイトに繋がるパソコンは仮設住宅に設置されていたり
またスタッフの方が直接仮設に訪ねていって使い方を教えながら一緒に探したりすることもやっている
山元町は地形の特質もあって、津波が水平に入ってきたため、地区ごとに流された写真が集まっていたり、集めてくれた自衛隊の方もその地区ごとにまとめてくれていて、場所を手がかりに探すこともできる

今まで数カ所洗浄しているところにお邪魔してきたけど
こういうのがあったらいいのになーって思ってた事はここではすでに試されていて
何がいいとか悪いとかではなないけど
もっと他の場所が良くなるために共有できそうなことはいっぱいあるかもなって思った
でもすべて町単位でやるしかないし、なかなかそんな余裕はどこにもなかったと思うけど
これからのことも考えてできたらいいなと思う
Aくんの仲間たちと我々で山元町でお昼を食べよう!となったけど、その前に少し時間があったので
私と瀬尾は2人で山元町の沿岸に行く事にした
Aくんが渡してくれた地図と、いってみるといいよって教えてくれた小学校をたよりに出発

私が1人で来た時、1時間以上かけて山元町の社会福祉協議会の職員さんが町中を案内してくれた
だからちょっとだけ瀬尾にも伝えようと思って
ここまで津波がきたんだよ、とか
地震の被害も大きかったんだよとかいいながら走る
でも、地元の人間じゃないし、なんか変な感じだなと思って
瀬尾は瀬尾でちゃんとその場所を見てるから
余計なことは言わない方がいいかもしれないと思う
小学校につく

小学校のグランドには流された車がたくさん集められている
山元町はなんだか他の場所に比べて土が強いのか草が強いのか
瓦礫にまでたくさん草が生い茂っている
車からもたくさん生えていて、車よりも高くのびた葉っぱが風になびいてゆれている
何みてるんだろうな

小学校の体育館は床がぐにゃぐにゃになっていて
スケボーとかしやすそうな角度になっている
今にも落ちそうなスピーカーが垂れ下がっていたり
いろんなものがあらゆる圧力をかけられたあと、そのままの形で残っている
窓の枠も、柱も
階段を上がっていくとだれもいない教室があった
音楽室に理科室
誰かがきれいにしたあとで
ピアノもきれいにならんでいたし、骸骨の模型もつくえの上に立てられていた
水平とか垂直とかないなかに、整列してるものとか整理津してるものとかがあると
なんだかぎょっとする
でもよくみると、それが置き直された理由がちゃんとある
見つけてほしいものとか、倒れててほしくないものとか
そこに手を添えた人の気持ちがわかるなって思う
ちょっとだけずれていたピアノを少し整頓して、教室を出た
2階の屋上にでる
海が近い
波が新しく仮でおかれたテトラポットにぶつかってしぶきをたてる
この高さまで波が来る事が考えられない
でもこの屋上につながるドアはもう変形している
まわりは何もなくなっている
お墓が近くに見えている
その前が田んぼだったのかお家だったのかわからないくらいに草が茂っている

瀬尾を探すと体育館にいた
体育館の中央にあずきが入った瓶があった
これなんだろう

時間がおしていたので戻る

みんなで山元町のお店へ はらこめしミニをたべる
お店はにぎやかだった

そのあとは二手にわかれて
瀬尾と私はボランティアセンターの人に用事があったのでいってみる
取材をさせてもらった人は2人いて、1人の方には会えたけどもう1人の方は不在だった

Aくんたちと一緒に仮設住宅へ
仮設の集会場に設置されたパソコンの様子を見にいくということで
わたしたちも連れて行ってくれた
その地区の会長をしているというおじいちゃんを呼びにいく
おじいちゃんはとってもかわいらしい人で
急に現れた私たちだったけど、むしろ瀬尾にむかってほとんど話しかけている気がした
こどもたちがパソコンを違う理由で使うから困っているようだった
こんなに新しいパソコンが揃っていて、しかも写真も検索できるというのに
どう使っていいかわからないし、今ここに住まれている方が必要としているかといったらそうでもないようだった
私がこどもでパソコンあったら確かにいたずらしちゃうかもなーって思った
何がどこで誰に必要とされているのかって考えるのはとっても難しい
その時期とかタイミングとかもそれぞれ違うし
それをどこまで他人がやるべきなのかとかも個人の考え方でしかない
1対1だったらわかりやすいのに

町役場に戻る
もう一度ボランティアセンターへ
外に職員さんが勢揃いしていた
みんなでバスをお見送りするんだよって
みんな外にいる
よく山元町のことしってたねーよく来たねーって
言っていたお兄さんがいた

確かに、山元町は報道もあまりされていなくて
被害状況もよくしらなかった
でもほぼ70%の面積に津波が襲ってきていて
いちごハウスもほとんどだめになってしまって
田んぼもだめになってしまっている
今までだったら山元町という町が日本にあることすら知らなかったけど
そしてテレビをあまり見ない私は震災以降でも知ることはなかったかもしれなくて
でもこうしてここに来ているし、そこに住む人たちに出会えているし
もう山元町のことを忘れてしまうことはないだろうなと思う
それでいいなと思う
何をいいたいのかよくわからないけど
報道とか、情報とかに頼りたくないなとよく思う
入手の仕方も下手なんだと思うけど

で、仙台にもどる
友人たちとはさよならして
すごく眠かったので寝ました
まだ夕方だったけど

 

 9.7(10.7)