2011.9.9(2011.10.9 komoriharuka)

本日は塩竈のボランティアセンターへ
しかしアポをとっていなかったため取材できず

荒浜へ
仙台市荒浜は報道で何度も耳にした地名である
着いた瞬間
「流されてしまった」というのを景色で語られているような
そんな感じだった
基礎が並んでいて、木が数本残っていて
建物が残っている場所はまだ片付けがされていない
どこまでも続いているような灰色の風景が一瞬で目に焼き付く
カメラをまわしながら家があった土地の上を歩く
鳥居があってカラカラと音のなる楽器がついている
ここで聞いている音とか視界にはいる物質だとかは
ここに存在しているものが、それがそもそも何があったかというよりは
今この景色を構成するための細部となってでしか自分の中では受け取ることができなかった

あと、津波がきた場所にはたくさん訪れていたけど
久しぶりにその状況が景色から伝わってくる場所に来たような気がして
そのせいもあったから感じたことだったかもしれないけど
荒浜には来て良かったと思う
よく来ている仙台市なのに、仙台の津波の状況とか実は全く知らなかった
いつも目にしている都会の風景とは全然違っていて
同じ仙台市なんだよなって当たり前だけど思った
仙台はもう平常だなーとか軽々しく言っていたけど、それは違う
町の中の一部が災害にあったとして、それを一緒に町全体が伴うということがあるんだなって、東北の沿岸の地域を回りながら思っていたけど
ここは本当にそうだろうか
都市だとそれは成立しないんだろうか

それから
名取市のボランティアセンターへ

体育館の中に設置されたボランティアセンター
職員のおじさんがいて、わたしは7月から来たから
立ち上げからいた方を取材した方がいいとのことで
取材日は改めることにした

だけどその職員さんは名取のことを色々と話してくれた
名取は閖上と北釜で被害が大きく
閖上は漁業が盛んで海水浴場もある場所、またサラリーマンも多い地区で
北釜は専業農家で暮らしている方が多い地区だということや、
集団退去を計画していることとか
地区で雰囲気も結束力も違っていてそのコミュニティを維持できるよう
仮設住宅もほとんど地区ごとに住まれている
名取市は人口も増えてきていよいよこれからっていう時に震災があり
人口も減ってしまって仙台に移った方も多いという

次にお会いする約束をしてから名取を発つ

七ヶ浜に向かう途中、荒浜近くをとおる道路を車で走る
お昼に見たけど、なんか、この景色こんなに続いていたんだって改めて思う
全然片付いてないお家がまだ並んでいる
車窓から2人で見ていた
そしてこれを記録しようということになった

七ヶ浜に到着
ボランティアセンターの場所がわからず町役場へ
七ヶ浜の広報紙がたくさん発行されている
この町のコミュニティで色んな取り組みをしているのがそれだけでわかるなーって思った

ボランティアセンターはお祭り前ということもあって
今日は取材をやめておく

とりあえずゆでたジャガイモと玉子を食べる
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