2011.9.12(2011.10.12 seonatsumi)

 

八戸のまんが喫茶で目が覚める。

ここは4月にも泊ったことがある。
4月の時点では、沿岸部でまんが喫茶を営業していたのは八戸だけだったように思う。
夜と同じようにギャル達がスロットではしゃいでいる。
朝も夜も元気ですごいなあと思う。
多分、4月のときも同じような声が聞こえていた。

昨日の移動でちょっと疲れたみたいで、小森も私もぐったりしていた。
100円のカレーうどんを注文する。
おいしい。

近くのショッピングモールに移動。
海にほど近いけど、ここまで波が来たのかはよくわからない。
4月に止まっていた信号が点いていた。
東京から履いてきたサンダルがぼろぼろになったので、茶色い革靴を買った。
小森はスニーカーを買っていた。

八戸のボランティアセンターに行ったけど、初期からいるスタッフさんが不在と言うことで、また明日の朝にお願いすることにする。

ーー

4月に初めて東北に来た時、最初のボランティア先の北茨城で、もっと北の方が大変みたいですよ、と言われてそのまま車で北上をはじめた。
沿岸の町を訪ねて、無くなってしまった町並みを見ながらそこで失われたものの大きさを想像して(でもそれは全然出来ていないんだけど)、人と話しながらそこに絶対的にある町ごとの空気を感じた。
町並みはもう見えないけれど、そこにいる人達が絶対的に、その町を持っていた。
沿岸の町をいくつか訪ねるうちに、その人達が持つ町を、もっと見たいと思った。
ニュースで八戸港のことがよく流れているのを見ていて、ここまでは絶対に行こうと思った。
八戸は4月の時点で避難所も縮小され始めていて、ボランティアセンターも大きくはなかった。報道も多くないし外の人が入ってくることも少ないみたいで、避難所に物資を持っていったらえらくびっくりされたのを覚えている。あんまり人と話せなくて、ここがどういう場所かはよくはわからなかったけど、すでに漁港の片付けが着々と行われていたのを見て、どこか淡々とした芯の強さがあるんだろうと思った。

その後5月にもう一度、青森を訪ねることになる。
八戸より北に三沢港があることに気づいたのだ。地図を見ればそんなのすぐにわかるんだけど、報道の最北端は八戸どまりだったように思うので、意識がきれていた。
三沢港はすっかりと片付いていた。
港に1つだけ穴だらけの建物が残っていて、それを見てやっと津波の大きさが想像出来た。
港からすこし歩くと、瓦礫の山が、なんとも丁寧に出来ていた。
それはあまり高さは無く、でも距離は長い。
その山の中を歩きながらよく見ると、洋服や子供のおもちゃや洗剤や鍋や食器などが混ざっているから、ここに民家があったことがわかる。
でももう、なんにも痕跡がなかった。

釣りにきたというおじちゃんに声をかけられて、話を聞く。
ここには結構建物が建っていたんだよ、あの防潮林の奥まで波がいったんだから、信じられないだろう。
米軍とか米軍関係者が来て、きれいさっぱりにしてくれたんだよ。
すごいよなあ、アメリカさんはなあ。
おじちゃんは一通りこの一体のことを説明してくれた後、自分が東京に住んでいたことがある話や自分の子供の話をはじめた。
話し相手が欲しかったみたいな、そう言う感じだった。
しばらく話を聞いていると、釣りができるようになって本当によかったよなあ、と言って行ってしまった。

ーー

三沢のボランティアセンターへ。
アポ無しで変に遅い時間に来てしまったのにも関わらず、迎え入れてくれた。
三沢は復旧が早かったですね、と聞くと、アメリカさんがいるからですねえ、と言われた。
三沢には米軍基地がある。
学校で習って知ってはいたけれど、そう言うことがそこに住む人にとって、すごく生活に密接していることは想像出来ていなかった。
三沢の人口の20%はアメリカ人だと言う。だから、アメリカ人がボランティアに来ても、なにもてらいはない。他の地域では、外国人さんがボランティアに来た時に困ってしまうお年寄りが多いと聞いたが、ここではそんなことはない。
当たり前の、光景なんだと思う。
三沢は六ヶ所村が近いから原発関係で働いている人も多いし、米軍基地があるからその関連で仕事をしている人が多い。
それがここの日常なのだろう。

町は何で出来ているんだろう。
そこに暮らす人で出来ているんだと思うけど、その人達の生活は、町が作っているのかもしれない。
町は人がつくるものだと思う。
でも、それがそこにいる人が作るものとは限らない。
他の場所との関係で、他の動きの一部として、その町の役割が出来ることもある。
でも、それが幸せとか不幸せとかと直結するとも限らないんだと思う。
なんだかおせっかいなことを書いている気もする。

三沢港へ移動する。
薄暗くなった三沢港に巨大な製氷機から氷が落ちてくる音が響いている。
イカ釣り舟が帰ってきた。
小さな漁船に煌々と光るオレンジ色の電球に照らされて、漁師さん達がてきぱきと働いている。
すごく、いい景色だった。
これはこの町の景色だと思う。
まだ他の東北沿岸の町では、こういう景色は見られていないと思った。
ひとがそこで、そこにあった方法で働いている。
こういう景色を、もっとたくさん見たいと思った。

カッパ寿司で100円の寿司を食べる。
海に近いからかすごくおいしい気がする。

電気屋さんの駐車場で車中泊。
近くにおおきな工場があって、夜なのにずっと煙をだしている。
何かに照らされて赤いのかなんなのかよくわからないけど、煙は巨大だなあと思った。それはとてもきれいだけど、何か少し怖かった。
車の中で写真の整理などしていると、だんだん眠れなくなった。
その日は遅くまで音楽を聴いていた。
外の空気は冷たいけど、中は結構あったかくて居心地は良かった。

 

 9.12(10.12)

 

 

y 

 

今日は青森県三沢に居ました。米軍基地と自衛隊の基地を擁する三沢市、ボランティアの半数が米軍関係者だったとの こと。そのため復旧がとても早かった。三沢が被災してるって知らない方もいらっしゃいますが、漁港の機能はほとんど奪われ、海に近い町は家を失った方もた くさんいらっしゃる、とのこと。

でも漁港の町の横のつながりが強くて町の人達であっという間に片付けちゃって、ボランティアのニーズもあんまり無かったんです。

津波が被ったという三沢港に向かう。イカ釣りを終えた舟がポンポンと音を立てて薄暗い海から帰って来た。イカを冷やす巨大な製氷機も、がらがらと音を立て て動いている。まだ足りない施設もあるというけれど、その光景はとてもきれいだった。たくさんの人が、そこでまた働いていた。

東北に来て、景色のことをよく考えます。人が景色を見る、ということについてです。自然の、環境としての、大きな景色ではなくて、もっと人が必要としているものとしての景色についてです。まだよくまとまらないけど、考えたいと思います。

今日から車中泊です。車で充電出来るコードと毛布を買って、完ぺきであります。八戸のブックオフで岡崎京子のまんががたくさん買えて、なんだかよくわからない気分だけどうれしいです。おやすみなさい。

twitter@seonatsumi