2011.9.16(2011.10.16 seonatsumi)

午前2時、久慈港にイカ釣りで沖に出る漁船を見に行く。
港には津波の後があって、周辺の施設は壊れているし道路はえぐれて陥没している。それでも漁船は港に十数台くらいあって、中では何やら準備をしている様子が伺える。
漁船には大きい電球がたくさん点いていて、その光に照らされる漁師さんの姿はいつも逞しい。
仕事をする時、迷いなく作業をする姿はいつも、すごくいいなと思う。
周囲を一周した後、1時間ほど車の中で待つ。
小森は外で映像を撮っている。

昨日書こうと思ったけど書けなかったことを少し書きたいと思う。
夕方の車内で移動中に小森と話していた、記憶の仕方についてのことだ。

私はいろいろなことを良く覚えていない方だと思う。
これは本当に小さい頃からのことで、小学生になったら幼稚園のことを忘れ、中学生になったら小学校のことを忘れ、高校生になったら中学校のことを忘れている。
これは普通のことのようにも思うけど、友人に話すと、さすがにそんなには忘れないなー、と言われるから、忘れている方なんだろうと思う。

自分なりの、記憶をすることに関するイメージは、あるシーンの画像とそのシーンの短い記述のようなもので映像的なものはほとんどないように思う。
その画像をゆるやかに結ぶ行為が、思い出すこと、かと思う。
画像と画像の間の出来事は、思い出すその時によって変化をする。
私は、それで良いと思っている節があると思う。
そもそも覚えることは諦めている。

私は写真というものがいつも気になる。
露光されたその瞬間に関しては、写真は実際にあったことを写していると言える。
もちろん誤読されることは必ずあるし、それが人を傷つけることもあるけれど、それは基本的に揺るがないだろう。
私の記憶は家族アルバムにあると、私は思っている。
そのシーンを覚えていなくとも、それを撮った人が誰かは分からなくとも、私や私の家族が写っているその写真は、私に関係があるのだと考えられる。
それは信じられるから、そこから記憶を組み立てていく。
自分の周りにある記憶は、本当とは違っても良いと感じている。
記録の部分は固定されているけど記憶は常に可塑的なものなのでは思うのだ。

生活をする上で、記憶がどういうものなのか、と言うことをこの東北でよく考える。
そして記憶は自分の外の、例えば家族写真やスナップショット、景色や身近にいる人達なんかに頼って構成されるものなのではないかと思う。
記憶そのものが無くなってしまったのではなくて、記憶を呼び起こす装置を、多くの人が失ったんだと思う。
それはきっと歳を重ねているほど、とても辛いことだと思う。
けれど、何を見ても何かを思い出す、ということがある。
いいことも、わるいこともだけれど。
だから、記憶は全部失われると言うことはないんじゃないかと思う。

私はとても映像メディアが苦手で、特に映画とかドキュメンタリー番組なんかはすごく警戒してしまう。
それはそこに写っている映像自体は本当にあったことなのに、それを人が見れる時間軸に組み立て直したり、ある道筋に話をのせて出力しようとするからかと思う。
そんな怖いことをしてもいいのかい、と思ってしまうのだ。
そしてそれを怖いと思うからか、映像メディアは自分の生活と遠い、架空のものに思えてしまう。
記録としての映像はどの時点でなら成立するんだろうと思う。
逆に、記憶を作れてしまうのかもしれない。

小森は映像作家で、いつも映像を撮っている。
私がこんな考え方だからか、映像とか写真について話す時はいつも少しお互い相容れない感じがある。
でも、私は小森の映像作品は好きだと思う。
彼女の作品は生活と近い所で作られていると思うし、そこに事実をねじ曲げているような怖さはない。

小森の記憶には映像的なものがあると言っていた。
彼女はよくものを覚えている方だと思う。
ある一定の流れを凝視し続けるまなざしを持つこと、またそれを見返すことは、きっと私が見ているものとは全く違う。
とにかくこの一ヶ月、そういうひとと同じ景色を見続けることが出来るのはすごいことだと思った。
私は私なりの方法で、今見えるものを見たいと思う。

前置きがとてつもなく長くなった。

イカ釣りの船が沖に出始めた。
真っ暗な海に、右側左側から順番に一隻ずつ交代で出発する。
真っ暗な海と真っ暗な空の間に消えて行くみたいに船が出て行く。
船の中には色々な会話とか表情があるんだろうけれど、船を見ている限りそれは分からない。
船は規則的に、順番に出て行く。
その姿はきれいだった。

古墳の湯に戻ったら、お許しをもらうことが出来て、また仮眠室で眠った。

朝、山田町に向かう。
8月にも来たことがある田の浜へ。
そこは山田町の中心部から少し逸れた場所で、でもきれいなので少し有名な海水浴場である。
最初に来た時そこには10人あまりの漁師さん達がいて、国からの臨時雇用として震災で出た瓦礫の片付けをしていた。
拾ってきた流木を燃やす。
それを漁師さん達が浜の近くの丘に座ってそれを見ていた。

漁師さん達は田の浜近くの集落に住んでいたが、津波がその集落全体を通り抜けて行くと言う形で襲ってきたため、集落にあった住宅は全て流れてしまったとのこと。
そのため、その集落では約半数ほどの人が亡くなり、漁業関係者達は職も失ったという。
死者行方不明者の数を見た時、例えばどこの市で何人がと言う風に考えていたけど、もっと小さなコミュニティで考えた時、その分母は恐ろしく小さくなることがある。
私は半数が亡くなっている、という言葉を直接聞いてすごくはっとしたのを覚えている。

漁師さん達は仲がいいとも悪いとも言う感じもなく、おのおのの場所に座って火を見ていた。
時々誰かが何かを言うと、みんながくすくすと笑って、また火を見ていた。
私達のことも、おお来たのかと言う感じですんなりと迎え入れてくれて、漁師さん達と同じようにそこに座らせてもらった。
津波の話はそこそこに、自分の生い立ちの話や息子の仕事の話などをしてくれた。

そして、今回も田の浜に来た。
やはり前回と同じように漁師さん達はそこに座っていた。
日差しが強いからか気持ち木陰の方向に移動しているが、あとはメンバーもだいたい変わらずにそこに座っていた。

漁師さん達は私達に気づくと、おーまた来たのか、と言って前回と同じように漁師さんの輪の中に座らせてくれた。
そしてみんな持っているという物資の赤いマグカップにコーヒーを入れてくれて、また前回と同じ内容の話をしてくれた。
なんだか不思議な気分になる。
田の浜も大分きれいになっただろう、と言って海を指差す。
確かにきれいになったような気がする。
でもなんだろう、この前と同じように丸太が燃えているのを見ているとここだけ時間の流れがおかしいのかと思ってしまう。
大体のことが、前回と同じようだった。

漁師さん達はなかなか漁に出れないんだよねえと言いながら、でも特に焦っている感じでもない。
流れている時間の上にちょこんと座っているみたいだった。
悲しいとか辛いとか悔しいとか寂しいとか、その感情のどれを抱えているかは分からないし、それら全てかもしれないけど、抱えている感情が大きすぎるような、そんな感じがした。
でも、それも大分検討はずれな気もする。

きれいになった海で少し遊んでいたら三時半になった。
漁師さん達は急にてきぱきと動き出し、海から水を汲んで火を消して軽トラに乗り込みだした。
仮設で4時に点呼があるからなあ、と言って行ってしまった。
軽トラで順番に浜から出て行く姿は、今朝早くに見たイカ釣りの船になんだか似ている気がした。

またここに来たら会えるような気がする。
その時は一日一緒に火を見ていたいと思う。

山田町のボランティアセンターに行ったら、しばらく職員が忙しくて取材には対応出来ないとのこと。
私達がカメラを持ってボランティアセンターの前で話していると、Hさんという青年が話しかけてきてくれた。
彼は数ヶ月前から臨時雇用と言う形でボランティアセンターの手伝いの仕事をしていて、時には遺体捜索のヘリにも乗るという。
今度来たらゆっくり話を聞かせてくれるという約束をして、その日は移動をすることにした。

車はどんどん南下して石巻に向かう。
次の日友人のEさんとの約束がある。
夜中になんとか専修大学についた。
ボランティアのテントが大分減っていた。
月に大きな輪がかかっていて、なんだか不思議な夜だった。
友達と何通かメールをしている間に寝てしまった。

 

 9.16(10.16)

 

tanohama

 

ひと月前に訪れた山田町の海水浴場に行くと、ひと月前と同じように漁師さん達が浜に上がったものを燃やしていました。漁師さんたちは緊急雇用で日当をもらって浜の清掃をしている。毎日少しずつ片付けをしていて、でも恐らくそれももう少しで終わる。

よく晴れた日に、日に焼けた漁師さんたちが野原の日陰でコーヒーをのんでいる。漁師さんたちは青くてきれいな海をただ見ていて、そこで時間を過ごしてい た。漁の話も津波の話もでなくて、ひと月前にも聞いた東京の息子の話をもう一度してくれた。この前聞きましたよと言っても、そうかと言って続けた。

漁に出られない漁師さんたち(その理由は私にはわからないけど)の中に溜まっている感情はどういうものなのだろう と思う。悲しみなのか諦めなのか寂しさなのか全部なのか全く違う何かなのか、考えてみてもわからない。でも、その感情の体積がとてつもなく大きいような、 そんな風に思った。
また来いとも来るなとも言わず、三時半になったら漁師さんたちは火を消して仮設に帰っていった。それぞれの軽トラックに乗って市街地に抜ける細い道を順番にもどる姿は、昨日の夜に見たイカ釣り漁船の出港によく似ていた。

この漁師さんたちが漁に出る所を見たいし、日陰で海をただ見る時間も一緒に過ごしてみたいとおもった。またここに来れば会えるんだろうなとおもった。

町によって、ひとによって、もとから抱えてるものも、いま抱えてるものも違います。気づいたのは、町という単位が、一人一人に関わっていること。行政、景 色、ご近所さん、影響を及ぼすものはたくさんあるけど、町というものそのものが(それが何をさすかは分からないけど)あるんだと思いました。

いいのか悪いのかは分からないけど

twitter@seonatsumi