2011.9.17(2011.10.17 seonatsumi)

石巻専修大学で目が覚める。
コンビニに移動して朝ご飯を食べる。

色んな偶然が重なって、石巻のとある仮設でのお茶会に参加することに。
今まで何カ所か仮設を訪ねたけれど、ここは特に作りが凝っている。
壁はれんが造りになっていて、見た目も明るい
集会場もお風呂や広いキッチンなんかがついていて、とても広い。

お茶会は集会場で行われていた。
中に入ると2、30人の住人(年配の方が中心)ととあるNPOのスタッフさんが5人ほどいた。
スタッフさんの半数は住人達にマッサージのサービスをしている。
お茶会では仮設住宅でのコミニティ形成が主な目的のため、住人同士の交流を促すために社会福祉協議会やNPOが入ることが多い。
あくまでそこの住人の交流のためのひとつのきっかけとして、行われる。

会話の輪に入ってみる。
住人の方達はとても社交的で、私達が行くとすぐに迎え入れてくれた。
どうぞ、遠くから来たのね、ありがとうと声をかけてくれる。
この仮設の方達は市内の色々な場所から集まってきているので、住人同士もまだまだ初対面だと言う。
よく見ると小さなグループが出来ていて、それは元の町内会の顔見知り同士で集まっていたりするのが分かる。
みんな津波のときの状況を語り合っている。
あの時はね、あそこにいたの。
ここまで水が来たのよ、怖いわねえ。

私はひとりのおばあちゃんの話を聞いていた。
津波のときはお隣さんの車に乗せてもらってなんとか助かったこと、来ると思わない場所まで大変な浸水をしたこと、思い出が全て流されたこと、この仮設には同じ町内会の人がひとりもいなくて寂しいと言うこと。
おばあちゃんはその体験を何度も語って来たような感じで、丁寧に分かりやすく話してくれた。
色々聞けて良かったけど、おばあちゃんはこの話を他の住人にするべきで、私がここにいるのは本質的に役に立たないことだなあと思う。
話を聞いていても、ここに暮らす人同士のつながりが出来る方がいいのが、よくわかった。

みなさん聞いてください。
大きな声でNPOの代表さんが声をかける。
はーい。
住民達が答える。
代表は、
みなさんはこれから話し合ってね、徐々に自治会を作っていかなきゃならないです。仮設暮らしと言うのはいろんな悪い噂も聞きます。知らない人同士で暮らしていると、寂しがっている人つらい人に気づいてあげられなかったり、誤解が生じていざこざが起きたりするでしょ。そう言うの、防いでいきましょうよ。
私達が初期から支援しているとある仮設では、石巻市初の自治会が生まれました。
そこはこんなに楽しそうです。僕たちの出している冊子にも写真があるから見てくださいね。
といって、自分たちの団体の紹介用の冊子を住民に配った。
言っていることは間違っていないけど、何かが変な感じがした。
東京から来ているという若い青年が、かなり年上の人達に説教めいた口調でかたりかけている。
住人達はまるで小学生が先生の話を聞くように受け入れている。

ある時期から災害ボランティアから復興ボランティアに変わった市町村が多い。
人力で出来る泥かきや家の片付けにめどがつき、仮設住宅に入った住民の支援や町のコミニティ作りの支援のイベント立ち上げなどにボランティアの活動の中心となった。
そこから、何か変な感じが大きくなっている。
そこに暮らし続ける訳でない、そのコミュニティに直接的に関係のない人間が、そういった支援を考える時、そこには何か大切な距離感があるような気がする。
単発のイベントで住人の方達の気持ちを楽しくしたりするのはいいとおもう。
でも、そのコミュニティー作りに関わる気なら、自分もそこに入らなくては本質的な関係は見えてこないと思う。見えていないで、それをやるのは不可能だ。
地域の組織である社会福祉協議会の方にお話を聞いていると、自分の暮らす町とつき合い続ける覚悟を感じる。
仮設を一軒一軒訪問してニーズを吸い上げたり、お茶会を設定して自分たちもそこに参加したりする。
やっていることはNPOと同じでも、展望の質が大きく異なることを感じる。
もちろんそれがきっかけになってうまくいっている所もあるだろうから、悪いこととは思わない。
でも私は違和感を感じる。

代表の青年は、
おれ来週から東京でカフェの店長やるんです。良かったら来てね。
と言って私達に名刺をくれた。

仮設を後にして、石巻の駅へ。
実は今日、友人でアーティストのEさんの運転するバスに乗せてもらって、花巻に神楽を見に行くのだ。
駅で待っていると、黄色い派手なバスがやってきた。
Eさんは相変わらず元気だ。
バスに乗り込む。
車内には東京から来た大学生が何名かと、石巻の商店街でずっと地元の人をお手伝いしているSちゃんがいた。
Sちゃんは本当に華奢な方で、とてもおっとりとした口調で話す。
なのに、震災から一週間のときにヒッチハイクで石巻まで来て、それ以来ずっと商店街のお手伝いをしている。
住民の人からもとても信頼されているのが伝わってくる。
すごくパワフルで、とても尊敬する。

車窓から、石巻の景色を見る。
自分たちの車からいつも見ている景色なのに、なんだか全く違うものみたいだった。
誰かに運転してもらってみる景色は、少し距離がある。
どんなに壊れた町も、ただ景色を見ている、と言う感じがした。
ボランティアバスツアーとか色々あるけど、それらに参加して見える景色もまた、何か違うんだろうなあと思った。

バスは走り花巻へ。
バスの中は楽しい。
東北に来て初めて、休日のような感覚がある。
高速を降りて花巻の山奥へ。
バスが通れるのかと思うほど細い山道を一時間ほど進むと小さな神社があった。
本来なら野外で行われるはずなのだが、その日はあいにくの大雨で急遽神社の中での公演になった。
縁者達が協力しあって、てきぱきと結界を張っている。
同じような感じで、観客用のテントをビニールシートでこしらえる。
手際の良さはこれから見る公演と近いものがあると思う。

EさんとSさんは張り切って一番前を陣取っていた。
超多忙なEさんが、こんな遠くまで来て神楽を見たいと言っていたのは、本っ当
に見たかったんだね、と小森と納得した。
始まる前に炊き出しのようなものがあって、すごくおいしい地元の料理をたくさん振る舞ってもらった。
地元のおばちゃん達は、私達はいつも見ているからさあ、あなた達もっと良いとこにすわんなさい、と言って私達を前の方に座らせてくれた。

神楽が始まる。
神楽なんて見たことのなかったけれど、それはすごく楽しくて無骨でかっこいいものだった。
物語もあるし、動きも分かりやすい。
地元の人達が引き継いで続けているという。
山奥の、知らなかった場所に、誰もがきっと驚くようなものがある。
きっと一番研ぎすまされた、文化のさきっぽのものが、こういう場所にあるんだと思う。
もっといろいろ見てみたい。

隣に座っていたおじちゃんの計らいで獅子舞に噛んでもらえることになり、小森と他何人かの方々とともに壇上へ。
獅子舞は近くで見るとずいぶんと大きい。
順番が回ってくる。
噛み付いてくるのかと思ったら、私の頭に顔をこつんとぶつけてくれた後、頭上でパクンと口を閉じて音をさせる。
動きが全て一連の型になっている。
よく完成された動きだと思った。

客席に戻ると、速攻ご利益があるよ、とおばちゃん達に言われた。

花巻を後にする。
バスは神楽トークで盛り上がっている。
途中のコンビニで、Sちゃんに将来の夢は?と聞かれた。
将来の夢を聞かれる機会はなんだか久しぶりだなあと思う。
Sちゃんは、音楽さんになりたいと言った。
絵描きだと思っていた(彼女は商店街のシャッターにかわいい絵をたくさん描いている)彼女の発言にびっくりしながらも、その表情を見ると、本当にそうなりたい何かがよく見えている感じがして、良いなあと思った。
私は絵描きになりたいと言って、小森は映画監督になりたいと言った。
みんなで少し笑った。

Eさんの車で懐かしの音楽をたくさん聴きながら、深夜2時に石巻に着く。
駅前では若者が集まるバーが開いていたりして、意外と人通りが多かった。
Eさん達に御礼を言って、石巻専修大学に戻り、車中泊をする。
おやすみなさい。

 

 9.17(10.17)

 

ishinomaki

 

今日は友だちの運転するバスに乗って移動しました。いつも通る石巻市街の道の景色は、自分で運転するよりもずっと遠く感じた。沿岸に観光バスがボランティ アさんを連れてくるのをよく見かけるけど、それで得られるものと違うものもあるみたい。窓から見える壊れた町はなんだか眺めるものみたいだった。

山奥で神楽を見ました。武士が伝えたその神楽はとても無骨でかっこよかった。小さな町に世界のひとが震えるような、そういう文化がある。いちばん研ぎすまされたものがある。

自分がたくさんの出来ごと、ひと、ものを誤読していることに気付いて、その気づきは悲しいことではなくて、しあわせなことだと思いました。それは出会いに 似ていて、出会い直すような、そういう感覚。見ていたようで見ていなかったものをよく見ること、新しいものを何かと結びつけずそのままを見ること

twitter@seonatsumi