2011.9.19(2011.10.19 seonatsumi)

朝から動こうと思ったけど、少し疲れが溜まっていて起きられず。
とりあえず洗濯物をして、しばらくゆっくりとした。

3時頃からやっと動き出して相馬に行く。
初めての福島。
ずっと原発の知識も無かったためいかなかったけれど、昨日の夜ネットで色々と調べた上で、やっぱり行ってみようという話になった。
国道を南下して、岩沼市、亘理、山元町を越えて福島県に入る。
思えばちょっと前から福島の近くを動いてはいたのだなと思う。
県境で何が変わると言う訳でもないんだけど、どうしてもその名前と言うのはおおきい。
道路を走っていれば、気づかないうちに福島県に入っていた。

出発が遅かったため、相馬港についた所でもうあたりは暮れかかっていた。
海面からバスや建物がひょっこりと頭を出している。
こういう状態は見たことが無かった。
半分沈んだバスの上にたくさんの鳥がとまっていて、それが当たり前のようにそこに巣を作っていた。
港にはたくさんの船が停まっている。
船のまた奥に船が停まっていて、容易には出港出来ないような感じになっている。
出港する予定が無いのかもしれない。
港自体も地盤沈下と津波のため、周辺施設は壊れているし冠水してしまっているので、その機能を果たすことが出来ているのか分からなかった。
漁師さん達が乗った軽トラックがやってきた。
何人か乗っていて、夜に漁にでも出るのかと思ったけれど、
ああ、あれが俺の船だな、というのを確認したらさっさと行ってしまった。

相馬市のボランティアセンターに寄ってみるも時間が遅かったためしまっていた。
近くの小さなスーパーに寄る。
福島県産を中心とした東北産の食物が多いお店。
多分震災のある前からそうだったんだと思う。
東北は野菜がたくさんとれるし、おいしい魚もたくさんいる。
一次産業の豊かな場所だ。それが魅力の1つだと思う。
でも今は、ここでも産地を見て、自分の身を守ろうとしてしまう。
私達は北海道産のじゃがいもと茨城のハウスきのこを買った。

仙台に戻る。
今日は予定がゆったりしていたので、テレビなんか見たりしてすっかり休んでしまった。
あと、昨日Hさんの家で考えたことを文章にしたりした。

-----------


東北に来て20日。季節が変わりつつあって、今とても寒い。
考えることや伝えたいことはたくさんあるけど、どのように伝えたらいいか、いつも迷っています。

色々なものは色々なものと関係していて、その全体を伝えることはとても難しい。そもそも全体を、
ここまでが全体だとか言うことほど怖いことも無いのかなあとか。
だからというか、誰かの目線から見渡すことから見えてくることってたくさんあるんじゃないかと思っています。

--

昨日は4月に津波でぐちゃぐちゃになったお部屋の片付けを手伝ったおじいちゃんのお家の解体でした。
おじいちゃんはとても丁寧にカレンダーを貼り直したり テーブルを拭いてお皿を並べたりしていて、
その部屋は清潔でも整ってもいないけど、私はとてもきれいだと感じて、大好きになった。

そのお家が解体されて、そこには灰色の砂利とお家の破片でできたちいさな山があるだけだった。
私はその場所、その四角い敷地に何かを感じることはできなかった。
そこにおじいちゃんがいたこととか、部屋のあったかさとかを思い出すことは難しかった。
でもおじいちゃんがまた暮らし始めた近所のお部屋はまた、きれいだなと感じた。
ぴかぴかでもいい匂いでもないけど、とても好きだと感じた。
おじいちゃんは、あんたらのおかげであの土地をきれいにしてお返しすることができてよかった、感謝していると言ってくれた。
津波があって危険な場所になんでまた暮らそうとするんだろうって思っていたけど、
そこにあるものは所在地としてのその場所という訳じゃないんだと、当然かもしれないけど思うようになった。
ひとりひとりを構成するのにその場所は大きなものかもしれないけど、
ひととかいつも見る景色とか持ち物とかたくさんのものがひとりひとりに入り組んでいるんだ。
当たり前のことかもしれないけど、非常事態だからって、そこにいるひとは特別な人な訳はなかった。
土地に関してどうのと言う気持ちは正直まだわからないけど、自分を構成するものを見返してみたら、
なんだかすこし考えることができそうな気がした。

--

最近こっちで撮った写真を見返してみて、私は人の動作とか意識があるところにきれいさとかほっとする感じとかを得ているなと思う。
(そういう写真まだまとめてないけど、そのうちまとめたいと思います。)

ほとんどが流された町でぬいぐるみが座ってたり、お皿が並べてあったり、アルバムが重ねてあったりするのをみて、きれいだなと感じる。
その視点は多分、私が高校生のとき写真を撮り始めて、最初に作った写真集と同じ目線だと思う。
人が暮らそうとすることはきれいだなーと。

きれいっていいかたはちょっとうまくないけも知れないけど、とてもどきどきする。
もちろんこの視点ですべてみれる訳ではないと思うけど、そんなことはとてもあつかましいけど、
それでも私の視点はどんな状況でも同じな部分もある。
なんかよくわからない文章になってしまった。
あと10日はこちらにいます。10月にはなんらか、映像や文章や写真や報告会や、かならずお伝えする機会を作りたいと思います。
よーし。

 

 9.19(10.19)

 

souma

 

福島県相馬市に行きました。いままで放射能の影響を考えて福島は訪れていませんでしたが、今日は線量の一覧表を見ながら行きました。

相馬市の漁港、近くにはぽつぽつと営業中の旅館やお土産屋など。地盤沈下なのか夕方になると海が町と同じ高さになって、ひたひたと道路に入ってくる。漁港の周りの建物は壊れながらもきれいに片付けてあって、でもそれ以上直したり解体するような様子は無いのかなとも思う。

漁港にはとにかくたくさん舟がつけてあった。舟達はおたがい にぎゅうぎゅうと揉み合いながら、そこから動きだす訳でもなくそこに繋げられていた。漁師さんが車で港に入って来ては舟に乗る訳でもなく、あれが俺の舟 だ、あったあった、とつぶやいて帰ってしまうのを何度か見かけた。

元から海だったのかそれとも陸地だったのかわからないけど、家や車が海面から半分くらい頭を出して沈んでいるのをたくさん見た。半分沈んだ真新しそうな観光バスにたくさん鳥がとまっていた。鳥はそこで生活をはじめているようで、空とバスを何度も行き来していた。

twitter@seonatsumi