2011.9.2(2011.10.2)

朝6時に仙台駅着、とても眠くて頭が回らずに駅でタクシーに乗り込む。
ものの5分でお世話になるKさんのお宅についた。(Kさんは不在であった)
玄関でがさがさとやっていると、中から東京でお世話になっているAさんが出て来て、お互いすごいびっくりした。しばらくAさんと話して彼女を見送って、コンビニで買った朝ご飯を食べる。
どうしようかと言いながら、もうふたりとも眠くて眠った。
途中で何度か目をさましたけど、外は雨が降っていて暗くて、あんまり何も考えられなかった。
起きたら夕方手前くらいの半端な時間だったので、晩ご飯を作った。

ご飯を食べながら、インターネットでいくつかの映像を小森と見る。
当日の報道局の様子を追ったドキュメンタリーと津波直前に陸前高田市の役場前から放送されていたユースト。
私は数日前からインターネットで3月11日当日のニュース番組を探していた。ネットには色んな人が携帯やハンディで撮影した津波の映像があがっているけど、私は3月11日当日に、私自身の周りにあった情報をもう一度見て、その時どうだったかを考えたいと思っていた。
自分自身の体験としてのその日って、実はもう忘れつつあるような気がする。
とにかく怖かったような気がするけど、それがなんでなんだろうと思う。
東京も震度5くらいの大きな揺れがあって、そのあとも余震は続いたけれど、停電も断水もなくて困ること自体はなかった。友達何人かと住んでいたのもあってか、私達の家に何人かの友達が集まって来て、みんなでこたつに入ってずっとテレビを見ていた。夜
中になってもみんな起きていた。ネットとテレビで今起きていることを知ろうとしていたように思う。せまいこたつで6人で雑魚寝をした。
何日かそんな日が続いて、友達もぽつぽつとバイトが始まったり家に帰ったりし始めて、私もなんとなくふつうに暮らすことをはじめた。
あの、どうしようもない非常事態みたいな感覚から、日常に切り替わるタイミングってなんだったのだろう。それは私ひとりの意識じゃなくって、全体がそうやって変わっていっているような、そんな感じがあったように思う。
そのなかの1つに、ニュース番組があるんじゃないかなとか、考えていた。
思いのほか当日の番組というのはネットにあがってなくて中途半端な気持ちになったけど、その中で気になったものは、小森と見たいと思っていた。

映像を見ながらいろいろと話して、これからの計画をおおざっぱながらにたてる。
東北には台風が来ていて、地盤沈下している沿岸部に雨が降ったらもうどうなってしまうんだろうと考える。
町が水浸しになって、津波で壊れた家屋やらが積んである瓦礫の山(私達はモンスターと呼んでいる)が崩れたらどうなるんだ。
明日は仙台付近で行けるところまで行ってみようと話す。
寝る前に絵を描いたらなぜか天使みたいな女の子の絵になった。

  tenshi

 

 

 9.2(10.2)