2011.9.21(2011.10.21 seonatsumi)
 
今日は小森が一時帰宅中なので、山元町の写真洗浄で知り合ったAさんが企画したという東北ツアー?のようなものに参加することにした。
内容は(多分)、被災に遭った土地を何カ所かまわったあと、山形の山村のロッジに宿泊してゆっくりと過ごすというものらしい。
Aさんは京都の大学生なので、京都からも何人か人が来るとのこと。
普段あんまり初対面の人が多い場所にいくのは好きじゃないけど、
Aさんが話しやすい方だったのと、こんなこと滅多にないしなあと思って、
それでも気持ち的にはゆらゆらしながらも出発した。
 
昨日合流したドイツ人のTさんと共に車で仙台駅へ向かう。
Tさんも昨日山元町でAさんとあった時に参加することになったのであった。
Tさんが助手席で車のナビゲーションをしてくれているが、半分くらいよくわからない。
 
なんとか駅についてAさんたちと合流。
東京や京都から来るメンバー達が台風でバスが遅れているため、まだ到着しないとのこと。
今日は台風が来るのか。
強い風の中に雨粒が混ざっているのに気づいてやっと実感する。
しばし駅前で待つ。
話を聞いていると、今日来るメンバーはほとんどみんな知り合い同士ではないらしい。
Aさんが誘った人たちの集まりだと言う。
なぜかドイツ人のTさんもいるし、不思議だなあと思う。
一期一会とか好きじゃなかったけど、今日はそれがいい気がした。
 
一時間ほど待つと、何人かがのった車が合流した。
このツアーは3台の車でまわるらしい。
私達の車にも京都から来たという大学1年生と2年生の女の子がふたり乗り込んだ。
 
まず、閖上小学校に向かう。
Aさんは山元町で長く写真洗浄に関わっているけれど、他のスタジオ等は見たことがないという。
それぞれの場所で写真洗浄の仕方も、展示も返却も、環境も全く異なる。
山元町は今ライフラインのしっかりした建物で主に返却をしているけど、閖上は電気も通らない環境でまだ手のついていないアルバムをたくさん抱えている。
同じようなことを色んな地域でやっているけれど、あまり横のつながりはないように思う。
 
間違えてとんでもなくぼこぼこの田んぼ道を走りながら、閖上小学校に着く。
またしてもスタッフさんが不在だったので、私は自分が知っていることを説明した。
十数人の学生さん達は熱心にこの場所や、集まった写真を見ていたようだった。
初めてここに来て、何を感じるんだろうと思う。
大きな被災があった閖上と言う場所に残った小学校の薄暗い体育館で、この町にいた人達の写る写真を見ている。
文章で説明すれば簡単だけど、私はこの場所に最初に来た時少し怖かったのを思い出していた。
誰かの所有物、しかも思い入れの強そうなものが集まった場所。
ランドセル、位牌、置物、賞状、手紙、ぬいぐるみ、写真、、。
そういったものが所有者不在の状態で、がらんと大きな体育館にひしめきあっている。
 
閖上から移動、仙台空港を通って北釜の集会場へ。
移動の道中も、閖上の町のことや4月に見た仙台空港の様子や北釜の町のことについて話した。
伝わっているのかよくわからない。
けど、話さずにはいられないなあと思う。
知っていることは全部、伝えたいなあと思う。
でも、誰かが話してくれたそれに当てはまる言葉とか表情とかそういうものを、私は持ち合わせていない気がして、とてももどかしくもあった。
 
北釜から次の場所へ移動する途中のコンビニで、さらにメンバーふたりが仙台に着いたと連絡があった。
台風で電車が止まっていて、こちらまで来れないと言う。
そういえばすごく風が強い。
 
私の車で迎えにいくことになった。
Tさんたちはもう一台の大きな車に移動して、私とOさんで仙台へ。
Oさんは昨日山元町のHさん宅でご飯をご一緒したのだが、ほとんど話も出来なかったのでほぼ初対面だった。彼女は京都の大学生だ。
車中で話を聞いていると、Oさんの実家は東京で私と同い年だという。
単純な私は親近感を持った。
いつも割と人見知りだけど、一緒にいて楽な人だなあと、話して5分で判断した。
 
Oさんの的確なカーナビで仙台に到着、大学一年生の女の子(MちゃんとFちゃん)ふたりと合流。
18歳と聞いて驚く。
二人はまだ津波被害があった場所が見たことが無いと言うので、どこか案内しようと思う。
時間的に山元町のAさんたちに合流するのは難しそうだった。
どこがいいだろう。
距離や環境を考えてみて、石巻にしようと思った。
 
石巻に向かって走る。雨がだんだん強くなる。気づけば大雨警報が出ている。
何度も走った道だけど、前が見えないほど雨が吹き付けて、ここがどこだか分からない。
なんでそうまでして、と思うけど、多分そんなに強い理由がない。
ただ出発してしまったから行こうとしてるんだとと思う。
こういうのが一番危ないよなあ。
頭は働いてないけど、いかなきゃと思っている。
 
なんとか石巻の南浜町に着いた。
南浜町は石巻の市街地で大きな被害を受けた場所だ。
ここ50年ほどで出来た比較的新しい町。
いまはほとんどの建物が流され、残った基礎部分だけが町があったことを語っている。
建物の敷地のあった場所それぞれに小さな花束が手向けてあった。
大雨と強風でで傘が壊れた。
同乗者の女の子達は雨にやられてすぐに車に戻ってしまった。
普段小森と動いていて、それはふたりとも能動的にここに来ていると言うこともあるかもしれないけど、景色をじっくりと見ることをとても自然にしてきた。
小森はビデオカメラを持ち、私はカメラを持っているのもあってか、ここで見ること、に時間を使う習慣がある。
誰とそれを見るのか、という問題は私にとって大きい。
そこにいるその時に置いては、それも含めてその場所なのだと思う。 
いつも小森とみている景色を、他のひととも見てみたい。
違うものがみえる気がする。 
でも、小森ほどその景色にいる時間が自然にあう人もあまりいないだろうなあとも思う。 (もちろん合わせてくれてる所もあると思けど)
みんなが車で待っているので早々に戻る。 
 
いつもお世話になっている石巻のAさん(ややこしいけどこちらは5日に登場したおじちゃんおばちゃんご夫婦)のお家が近かったのでよってみることに。
Aさんのおばちゃん は突然なのにも関わらず迎え入れてくれた。
一緒に来ている子達が京都の大学生だと知ると、おばちゃんは身をよじって、本当に遠い所からありがとうと言った。
そして津波の日の話やその後の暮らし、一昨日あがった遺体の話などを、淡々といつもの調子で、大笑いしたり泣きそうになったりしながら話してくれた。
私はいつも聞かせてもらっている話だから、一緒に笑ったり泣いたりした。
みんなも最初は少しとまどっている様子だったけど、すぐに空気は柔らかくなった。 
 
途中で物資を取りに行くお使いを頼まれたので、Oさんと一緒に車で近くの公園に向かう。
前回来たこともあって、Aさんの家の人だと認識されたようで、色々な書類もたくされたりした。
物資の配給は相変わらず量が多いようだった。
 
Aさんのお家に戻る。
台風もどんどん強くなって来る。
予定では私たちは山形に向かうはずなのだが、こんなことになっているのでどうしようも無い。
おばちゃんは泊まって行きなさいと言ってくれたけど、人数も多いし準備もないので、 いける所まで行ってみようということに。
おばちゃんは物資でもらったジュースとパンをくれた。
 
出てみると、高速道路も止まっている。
とりあえず南下していく。 
車中ではみんなでおばちゃんの話をした。
ひとの話を聞くことでいろいろな事に実感が持てる。それは私もとても同意する。
初めに来たとき、景色をどう受け止めていいのかわからなかったけど、そこにいるひとの話を聞くことで、その景色と自分とがどういう関係にあるのか分かったような気がした。 
それから、何からここで起きていることを理解するかは人それぞれだと思った。 
見る事より聞く事の方が、聞く事よりあるくことの方がとか、感知する方法は人それぞれ得手不得手がある。だから、伝え方もいろいろあるし、必要なのだと思う。
 
松島あたりを走っていると、風雨が強すぎて前が見えなくなってきた。海も不気味に近くなって来ていて、 所々マンホールから見ずが吹き出している。
これは山形にはつかないかもなあ、と思う。
多分みんなそう思っただろう。
仙台を超えたあたりで、山形方面の道路がほぼ通行止めになったとのことを知り、今夜は仙台に泊まろうということになった。
 
このまま帰るのも淋しいので、通りかかった秋保温泉に寄った。 
散々探したけど、いまから日帰りで入れる温泉はなんだかちいさな銭湯しかなくて、一畳
ほどの小さくてめちゃくちゃに暑いお風呂に四人で入った。
また車にもどる間にびちょびちょになる。 
初対面の人たちと、景色を見たりおばちゃんにあったり危険だったり温泉に入ったりしているうちに、随分と昔から知っているような仲になったものだ。
なんだかよくわからないけど楽しい気分になった。
 
仙台に向かう道路が本格的に冠水していて、 車が一瞬浮いた。
本当に危ない。
このくらいなら大丈夫、とか思っているうちに本当に危険な目にあったりするんだと思う。
鈍くていけない。
何が起きるか、もっと想像しなくちゃ。
それは防災にも言えることだろうとおもった。
 
国道沿いのラーメン屋で遅い食事をとっていると、
Aさんから連絡があって、無事山形に着いて楽しく飲んでいるみたいだった。
無事について本当に良かったなあと思う。
私はそこに着かなかったけど、今日の一日はすごく特殊な日だったし、なんだかもう十分だなあと言う気がしていた。
それぞれに楽しくてよかったなあと思う。
 
仙台のいつもの宿で、
Oさんとすこしワインを飲んで、 
少しだけ絵を描いて、寝た。 

 9.21(10.21)

 

 

onagawa 

 

今日は小森がいないので京都の学生さんと石巻へ。意識してなかったけど見ることって色んな影響を受けていると気づく。一緒にその場にいるひとが自分の目の 一部になったりすることもある。小森と景色を見る時は、多分とてもひとりひとりの状態に近いと思う。車に戻って、いまこうだったねとか話す。

今日はなんだか団体の目だった。その場で細部に目がいくことはなくって、その景色の中にみんながいるってことだった。その景色を共有している感じはあるけ れど、あんまり何も見えない感じだった。見るとき、自分の目が一体何で出来ているのか、どこまでが見るってことなのか考えたいと思った。メモ

誰かといる時、っていうのと複数でいる時ってのは、なんか違うんじゃないかな

石巻は台風で冠水し始めていました。至る所で通行止めで、地元の方でも3階迂回しなきゃならなかったとのこと。津波で壊れたお墓に花が手向けられていて、それが雨に濡れて色が濃かった。水に濡れるとにおいも強くなって、生々しく感じる。

つい3日前ね、つり好きなおじさんが小魚を捕るために網をかけたらね、遺体が3体あがったのよ。改修がすんでピカピカのお部屋でおばちゃんは話す。この家の前にも遺体の入った車が入っててね、大変だったわ。ふつうの生活、に大変な出来事が入り込んでる。でも、とてもふつうの生活を送ってる。

なにがふつうかはわからないけど。今日は台風でめちゃめちゃ激しい雨降りで道路も冠水するなか山形に向かったけど、でも結局つかなくて仙台にいる。道路の 水がたまりすぎてて車は止まりそうになった。非常事態的な雨なのに、雨のふり始めから徐々に激しくなってくると、どこから非常なんだかわからない

こりゃやばいとかの判断って意外と出来ない。これ以上はやばい、って変化がゆっくりだと、いつも の延長線上にあると思ってしまう。でも多分そうなんじゃないかなって思う。 

twitter@seonatsumi