2011.9.21(2011.10.21 seonatsumi) |
今日は小森がいないので京都の学生さんと石巻へ。意識してなかったけど見ることって色んな影響を受けていると気づく。一緒にその場にいるひとが自分の目の 一部になったりすることもある。小森と景色を見る時は、多分とてもひとりひとりの状態に近いと思う。車に戻って、いまこうだったねとか話す。 今日はなんだか団体の目だった。その場で細部に目がいくことはなくって、その景色の中にみんながいるってことだった。その景色を共有している感じはあるけ れど、あんまり何も見えない感じだった。見るとき、自分の目が一体何で出来ているのか、どこまでが見るってことなのか考えたいと思った。メモ 誰かといる時、っていうのと複数でいる時ってのは、なんか違うんじゃないかな 石巻は台風で冠水し始めていました。至る所で通行止めで、地元の方でも3階迂回しなきゃならなかったとのこと。津波で壊れたお墓に花が手向けられていて、それが雨に濡れて色が濃かった。水に濡れるとにおいも強くなって、生々しく感じる。 つい3日前ね、つり好きなおじさんが小魚を捕るために網をかけたらね、遺体が3体あがったのよ。改修がすんでピカピカのお部屋でおばちゃんは話す。この家の前にも遺体の入った車が入っててね、大変だったわ。ふつうの生活、に大変な出来事が入り込んでる。でも、とてもふつうの生活を送ってる。 なにがふつうかはわからないけど。今日は台風でめちゃめちゃ激しい雨降りで道路も冠水するなか山形に向かったけど、でも結局つかなくて仙台にいる。道路の 水がたまりすぎてて車は止まりそうになった。非常事態的な雨なのに、雨のふり始めから徐々に激しくなってくると、どこから非常なんだかわからない こりゃやばいとかの判断って意外と出来ない。これ以上はやばい、って変化がゆっくりだと、いつも の延長線上にあると思ってしまう。でも多分そうなんじゃないかなって思う。 twitter@seonatsumi |