2011.9.23(2011.10.23 seonatsumi)

朝4時半頃Oさんに起こしてもらって仙台に向かう。
とても眠い。みんなはよく寝ている。
そっと外に出る。
キンと寒くて思わずマフラーを巻く。
まだ太陽は出ていないけど、あたりはなんだか青くてきれいだった。
街灯のついている田んぼ道を抜けて、高速道路にのる。
行きの道を逆戻りする。
山の間を抜けて、川を渡って、一車線しかない高速を走っているうちに朝になった。
まぶしがりながら走っているうちに仙台に着いた。

2日間一緒にいただけだけど、共通の認識も増えて(仙台駅で車止めるなら○○、とかあの人は○○だよねとか)、Oさんとはなんだか仲間意識が芽生えた。
と、言う所でOさんとは別れ、夜行バスで仙台に着いた小森と合流した。
小森は東京で仕事をして戻ってきたので、大分疲れているようだった。

この2日間にあったことを小森と話しながら相馬市に向かう。
ボランティアセンターに取材のお願いをしにいくために伺ったのだが、結局担当の方はいなかった。
電話一本入れれば済んだ話なのだが、全く気が回らず。
南相馬市は近くのコンビニで資料のファックスを送り、電話交渉をし、後日改めてと言う形になる。
何のために来たのかよくわからないけど、引き返し、まだお話を伺えていない東松島へと向かう。

東松島は二週間前にも訪れているが、その時はおかしな勧誘のツアーみたいなものでまわったので、自分の足でまわってもう一度その景色を見たいと思っていた。
あの時嫌に怖かった景色は、今日見ても怖いのだろうかと考える。
その前にボランティアセンターに行く。
突然だったけれどMさんと言うスタッフさんが応じてくれた。

彼は隣の石巻の出身で、結婚を機に東松島に転居して数ヶ月で震災にあったとのこと。新居も1階まで水が入ったが壊れはしなかったので、奥さんと一緒に市内のボランティアに参加することに。毎日のように泥かきをしているうちに運営にまわるようになり、この9月からは社会福祉協議会の職員になったと言う。

たまたま移り住んだ土地で(彼の場合は実家も石巻だけど)災害にあって、そこに住み続けるのは、どういう気持ちなのだろう。
元から関係のあった土地ではない場所の、危険な一面を見てそれでもそこに住み続けるという決断はどう言ったものなのだろう。
彼は、元は隣近所もよく知らない関係だったけど、こういったことがあって、ここで働くうちに友達も顔見知りも増えたんです。それでこの地域のために働くのも、いいなあと思って。妻も賛成してくれたので、この土地に密着した仕事に就くことにしたんです。とはにかみながら言った。

私は東北でいろいろなひとの話を聞くうちに、どの判断も特別なものではないと思うようになっていた。
津波で家が全壊した場所にもう一度家を建てることも、原発の近くに住み続けることも、いち早く遠くに引っ越すことも、まだ決めることが出来ずに避難所にいることも、どれもおかしなことはないと思う。
東京で、東京育ちの私が勝手に想像していた東北の人々の心情や生活は、なんとも私の自分勝手なもので、私が人それぞれの判断に何を意見することも不自然なことだと今思う。
そこで何を選択しても、それに善悪も正しいも誤りもない。
そこに暮らす人達は、その土地の環境や人間関係を思いながら、ひとりひとり、自分の生活を続けようとしているだけなんだと思う。

私個人としては、こうした方がいいんじゃないかと思うこともあるけれど、まずはそこで起きていることを受け止めたい。
そして、身勝手かもしれないけど、考えたい。
この震災で何が起きたのか、そこに何があったのか、何がどうしてこうなったのか。
またいつか津波が来たとき、どうしたらひとが亡くならないのか考えたい。
それはきっとその場所で暮らすことを意識的にしていくことや、ひととひとの関係のことや、起きたことを伝えていくことに関わってくる。
きっと津波以外のことにもそれは深く関係している。
私の、私達の力はもの凄くちっぽけだから、せめてここで起きていることをよく覚えていたいと思う。
そして出来るだけ形が歪まない方法で、伝えたい。

東松島の沿岸沿いを車で走る。
激しく地盤沈下した土地に溜まった海と見間違うような大きな水たまりや、至る所にひっかかったままになっている生活用品を見る。
二週間前とそんなに変わってはいなかった。
けれど、ぽつぽつとひとがいるのを見かけて、ここが町だったと言うことを実感した。
前回みたいに怖い感じではなかった。
でも、他の地域より特殊な景色だとはやはり思う。
それは松島特有の断層のある岩場の感じや、海の見え方の問題だろう。

仙台に戻っている間に、昨日まで一緒にいた京都の大学生のAさんOさんIくんと飲もうと言う話になり連絡をすると、二つ返事で了承された。
仙台付近のイオンで買い出しをして、駅で待ち合わせる。
いつも泊っている仙台の宿で色々な話をした。
みんな会ったばかり(小森はOさんIくんとはほぼ初対面)なのに居心地がよかった。
Aさんは、寝るのがもったいない、と繰り返していた。
連日の移動で割とみんな疲れていたけど、出身もばらばら、住んでいる所もばらばらの5人が仙台で集まって話しているのはすごく希少なことだから、もっと話していたいなと私も思った。
しかし眠気には勝てなくて、朝方には眠ることにした。
またそのうち京都か東京か仙台か、どこか分からないけど、会えるような気がした。
日記を少しだけ書いて、スケッチを整理してから寝た。

 

 9.23(10.23)

 

onagawa 

 

今日は10日ぶりに東松島。そこには10日前と変わらない景色がありました。それは何かが沈殿しているみたいな、動くにも動けないような、そういう状態。 おそらくもっと前からそうだったのでしょう、町は片付けられる様子もなく、木にひっかかった布団や散らばったお皿もそのままそこにありました。

色んな場所で、ここは危険区域になるかも知れないからまだ家を建てられないんだ、という話を聞きます。行政の決定を待っているひと、それを待たずに自分の暮らす場所を作り始めているひともいます。

私がただ思うのは、家を失った人達が自分でどう暮らし始めるかを決めることが出来ればな、ということです。去るためか、その場所でまた暮らしをはじめるた めか、どちらにしろその場所を片付ける時が訪れる。それはもちろん個人の負う責任ではないけれど、そういう時間は必要なんじゃないかと思う。

twitter@seonatsumi