2011.9.7(2011.10.7 seonatsumi)

山元町に向かう。
8月に小森がひとりで訪れてインタビューを撮ったことがあり、その時知り合ったという方に会いに行くことになっている。
今日は同じ大学の友人3人も同行して、仙台を出る。
出たときから既に遅刻気味だったので、少し急ぐ。

山元町と言えば写真洗浄というのは沿岸各地のボランティアの中で有名な話で、他の町の写真洗浄センターでお話を伺うと必ずと言っていいほど、山元町を目指している、と言われる。私も初めて訪れるので気になっていた。

町役場の横にある公民館のような施設に着くと、約束をしていたAさんが迎えてくれた。
この施設全体が写真返却の場になっている。
入り口から丁寧に作られた動線に沿って歩いて行くと、大型写真の展示や、洗浄済みの写真を地域ごとに整理してある棚を順番にぐるりと一周見てまわれるようになっている。また、タグ付けされた写真をパソコンやipadで検索出来るスペースも用意されている。スタッフの数も多い。
Aさんは施設をまわりながら山元町の被災についてや写真洗浄のプロジェクトの概要などあれこれと説明をしてくれた。
彼は私達と同い年で京都の大学生だそうで、山元町の写真洗浄に長期で携わっている方だった。同じ学生なのに、長期で1つのことに関わっているのはすごいなあと思う。私はいつも迷い迷い東北を訪れていて、自分が何者なのかなんなのかよくわからなくなるし、よくわからない。東北に来ている学生に出会えることも少ないし、なんだか話しやすい方だったから、いろいろ聞いてみたいなと思う。

AさんとAさんの仲間とお昼を食べようという話になったけど、時間があいたので私と小森は友人3人を残して、山元町の沿岸を見に行くことにした。
Aさんは、ここを見てみたら、と地図をくれた。
関係ないけど、地図をもらうというのはなんだか少し良いなと思った。

沿岸の小学校に着く。
校庭にはたくさんの車が積んである。ここに運んでから久しいのか、車の至る所から草が生えている。座席やボンネット、タイヤのすきまなどから花が生えていたりした。
小学校に入る。一階の天井まで水が来ているから天井はほとんどなかったし、窓も壁も途切れ途切れになっているから海風が吹き込んでくる。体育館の床は高さ2メートルくらいの高低差を付けてぐにゃぐにゃとふくれあがっていた。とにかくとても壊れていた。
でも、とても丁寧に片付けてあった。
津波の直後泥だらけであっただろう床もきれいに泥をどけてあるし、机や椅子も玄関に集められている。教科書、ノート、標本、ピアノ、靴、体育着、分類して重ねてあった。
取り壊す建物をなんで片付けるのか、という問いに、あとで分別するのが大変だからですよ、という答えがある。でもきっとそれだけじゃない。
石巻で私達が最初にお手伝いしたおじちゃんは、片付けたお家をもうすぐ取り壊す。
おじちゃんは、お世話になったこの場所を片付けないまんま、ここを去るのはとても辛かったんだよ、だからあんた達には感謝してるんだ。この場所をお返しすることが出来たんだから。と言った。
おじちゃんは本当に嬉しそうに、ほっとした顔をしていたように思う。
自分が住んでいた場所を去る時、まずその準備をしなければならない。
住んでいた場所を片付けて、今まで起きたことを丁寧に見返す作業が必要なんだと思う。それをしないでその場所を離れるのは、今までの自分と今の自分が無理矢理分断されてしまったままみたい思えるのではないだろうか。
場所を返すっていうのは、それをするための自分への責任みたいなことなんじゃないか。

またもや遅刻気味で役場に戻り、近くのお店で名物のはらこめしを食べる。
とてもおいしい。たくさん笑う。

Aさんたちが仮設に行くというので同行。
国道沿いを車で走りながら、ここも津波が来たんですよ、と教えてくれる。
もう草はらにしか見えない。目で見ただけではわからないことが増えて来た。でも、目で見ることは元からそんなにすごいことじゃないのかもしれないとか、ふと思う。
なんでも知識がなければわからないことだらけだ。
目は知識で構成されている部分も大きいと最近よく思う。

仮設に着いてAさんのお知り合いの自治会長さんにご挨拶する。見知らぬひとが来て少し緊張している感じがしたけど、真剣に話してくれた。
今は写真を探しに行く人は少ないし、探したいと言う話も聞かないとのこと。
仮設に入り時間も経ち、ハローワークの説明会があったりと、新しい生活をはじめなくてはならないタイミングだ。今はもしかしたら思い出を探している場合ではないのかもしれない。それはきっと、全く悪いことではない。
でもいつか、例えば仕事が決まって毎日のリズムが決まって動き出した時、ふとあいた時間に写真が欲しい、と思うかもしれない。そう言う時に写真が保存されていて、受け取れたらすごく嬉しいと思う。写真は記憶ではなくて、思い出を引き出すきっかけなんだと思う。だから個人の写真は個人の写真としてあるのが望ましい。その人の手元にあって、使われていった方がいい。
写真洗浄はきっと(かなりきっとだけど)、こういうことを仮定した上で続けて行かなきゃならないプロジェクトだからとても根気がいると思う。写真を無くされた方が、いまその写真はいらない、と言うかも知れない。でも、いつか必要になるかもしれない。そのとき必要なものは、今洗わないと、そのときには消えてなくなってしまう。

仮設の集会場にいく。
情報収集用にと提供されているパソコンで子供が遊ぶので困っているとのこと。確かに遊ぶよなあ、と思う。
遊ばせてやりたいけど、インターネットだとなんでも繋がってしまうから制御出来なくて困る。自治会長さんは不安そうな顔をしていた。
良いと思ってやることも、ある側面で困らせてしまうこともある。
Aさんは、自治会長さんが不安に思うのは良くないことですね、と言って、パソコンを引き上げるかを相談してくることを伝えた。
Aさんは自治会長さんの表情を見て、少し悲しそうな顔をしたように見えた。
自治会長さんが心配だったんだと思う。優しい人だなあと思った。

役場に帰り、友人達と合流し、仙台に向かう。
なんだかすごく疲れていて、宿で夕方なのに眠りこけた。
夜には仙台に集まっている作家さんやNPOのスタッフさん達とご飯を食べた。
東北で何かを考えたい人達に出会えて、とても嬉しい日だった。
昨日買ったCDを聞きながら、あたたかい布団でまたすぐに寝た。

 

 9.7(10.7)

 

yamamoto

 

今日は、山元町にいきました。海の側の小学校、2階の天井付近まで津波が上がっている。教室、体育館、更衣室、床や天井がぐんにゃりと曲がっていて、空間 自体がひしゃげているようだった。でも、片付けられた室内の至る所に草が生えていて、とても静か。津波からものすごく時間が立ったように感じる。

山元町の写真洗浄、とても丁寧で検索性もすごく良い。でも、洗われた写真を引き取りに来る方はそうたくさんはいない。仮設に入って、ハローワークの相談会 が開かれて、また生活していこうとしている。いまは丁度写真が必要な時期ではないのかもしれない。でもいつか必要な時がくるかもしれない。

思い出が必要なときもあるし、ない方がいいと思う時もあると思います。必ず残っていく思い出ってなんなのだろう。多分記憶とは違うもの。写真は誰の記憶にも成り得るけど、思い出はその持ち主の物にしかなり得ない。だから、個人の写真はその人の手元に戻らなきゃならないんだと思う。

twitter@seonatsumi