2011.9.17(2011.10.17 komoriharuka)

今日は午前中は石巻で支援活動をしているNPOのグループさんのお手伝い・見学に行く
事情があって少しの時間しかお邪魔できなかったのであるが、
石巻専修大学の近くの仮設住宅へ行った

その場所では今まで見た中では一番多く仮設住宅が建てられていた
団地のようでもあるのだが、全てが同じつくりではなく
それぞれ少しずつ違うようだ
私たちがお邪魔した場所はこのご近所では間取りが良かったり設備が整っていたりで評判がよいらしい
その集会場にお邪魔した
集会場はどの仮設住宅にも設置されていて
場所によって使い方は様々であるが
よく聞くのはお茶会(東北ではお茶っこ飲みと呼ばれる)が開かれていたり
演奏会やワークショップなど様々なイベントに使われている
その多くは支援をする人たちから持ち込んだ企画で
集会場によっては予約でいっぱいの場所もあった
外からのイベントを開催する場所としての活用が今はどこも多いようだが
自主的にこの場所を住む人たちが使える場所になるための支援も増えている
参加させてもらったNPOさんの活動もそうであった
石巻市では仮設住宅への入居は抽選で行われたため
元々住んでいた地域はバラバラの方が生活されている
なので、こういった集会場を設けても
お互いを知り合うことから始めなければならない

今日のお茶会はお互いを知ることだったり
この集会場をどう使いたいかとか、鍵管理をどうしようかとか
そういった話合いを勧めるためにも開かれていた

石巻では、自主的に集会場を使っている地区の人たちが報道されていたこともあり
みなさん関心が高かった
すぐに奥さんたちがあれをやりたいな、などの話で会話が弾んでいた

そのこととはちょっと別の話なのだが今日参加するときに、
私たちがここにいらっしゃる方とお話するのではなくて
ここにいる方たちがお話できるように会話をしてください
といわれ
ちょっと難関だぞ、と思い、いろいろ考え過ぎて
結局いつもと同じように1人の方のお話を聞く形になった
それが悪いとかではないのだけど
そのいう活動ってなんなんだ、、、と思ってしまった
私にはちょっとできないぞ、これ、と。
瓦礫撤去のボランティアまでだったら見えやすくて分かりやすいのだけれど
人同士のコミュニケーションを支援したり
その地域のコミュニティを一から作っていくところに関わったりするのは
そこに私が住むのなら自然と日常の中で考えるかもしれないけど
今日はあの人と話してみようとか
この集会場をもっと良くしたいなとか

今できるとしたら、話したい人の話を聞いたりだとか
こちらが知りたいことを聞いたり見たりすることだとか
会いたい人に会いにいくだとか
私と瀬尾は支援活動をしているわけではないので
そう思うのは当たり前なのだとおもうけど
今、目には見えにくいものの支援活動は少し理解しがたい点があるなと思う

もちろん、その活動を求めている人たちもいるし
支援側と受ける側の関係が上手くいっている話も聞くので
否定しているわけではないけど

私がやるのだったら無理だなーと
目には見えないといっても、それこそ表面的だなと思ってしまう
私が単純に苦手なだけかもしれない。

その後は宮城を離れ知り合いの方達と花巻へ
花巻での山奥で行われるという神楽を見に行く
神楽は初体験だったのであるが
はじめてみる動きや音やリズムでずっと見入ってしまった
思ってた以上にアクロバティックで、すごいステップを踏みながら
数々の技をなんなく披露している
技が決まると拍手が起こる
この空間なんだろなって
地元の人たちがみんな集まってきていて
用意して下さったごはんを食べながら
ゆるりと神楽を見ている
もっと緊迫した感じだと思ってたのだけど
すごく居心地がよくてついつい私たちもくつろいでしまった
おいしい食べ物もたくさん食べた
こんな山奥で守り続けられてる伝統をこの場所に来てみることができてよかった
伝統を守るという以上にこの共にする時間や場を大事にしてきたから続いてるんだろうな

それからまた石巻専修大学で二日連続の車中泊
瀬尾が豆腐を買っていつも車で食べているのだが
醤油をこぼしたりしていることをふと思い出す
瀬尾はよくいろいろこぼす
とんでもないところにこぼしたりする

 

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